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2014/03/09

火事とスーファミとWeak ties

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僕の好きな社会学者の一人に、マーク・グラノヴェッターという人がいる。 「弱い紐帯の強み」”The strength of weak ties” という論文の一説を紹介したい。  -HALO EFFECT - WEAK TIESとTWITTER


この書き出しで始まる文書、オチがとても面白かったのでシェア。

類は友を呼ぶという言葉があるように、自分の周りにいる人は自分と似ている人が多くなります。何か困った事があって相談しても、スキルや経験考え方が似ているので強い繋がりは意外と役に立たず、知り合いの知り合いくらいの関係の人に相談すると5秒で解決したりするというのが「弱い紐帯の強み」という話ですよね。
これは直感に反していているけどよく考えれば全くその通りで、しかも煩わしい人間関係を避けられそうな感じもするしでウケがいいのか最近は色々なところで話題に上ります。

しかし話を聞く度に思うのは、「強い」「弱い」というのはバックグラウンドの同質性の話であって関係性が弱くてもよいという意味ではないという点が誤解されがちなのではないかということです。つまり、行きつけのbarの常連仲間や趣味の集まりでできた友人といったゆるやかな繋がりかつ「会社倒産しちゃって仕事探してるんだよね」と言えば助けてくれるくらいの信頼関係がなければただの弱い紐帯」であって、強みは発揮されないんですよね。
その辺を間違えると、SNSや異業種交流会で出会ってつながった気でいても本当のピンチの時は誰も助けてくれず。。。ということになりがちです。

でやっと冒頭のLinkの話になるんですけど、この話は「スーファミを持っている」というだけの弱い繋がりが、「生きるか死ぬかレベルの火事で迷わずスーファミを持ち出した」という伝説級のエピソードによってドライブされて「弱い紐帯の強み」たりうる強度を持つという内容です。

これなら関係性をがんばって強化しなくてもいけるのでは!と一瞬思いましたが、しばらく考えてみると、これって「情動に訴えかけるなにか」みたいな話で一歩間違えると炎上とかポエム化キャッチコピーと変わらないんですよね。
。。。ダメじゃん
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2013/10/20

読書会備忘録、ウェブ社会のゆくえ関連書籍

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鈴木謙介「ウェブ社会のゆくえ」関連資料まとめ。
本の中で引用されているものから、これは関係あるなと思ったものまで。












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2013/10/19

読書会備忘録、「ウェブ社会のゆくえ」関連資料

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2013/10/15

読書会備忘録、ウェブ社会の思想から引き継がれている問題意識について

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「ウェブ社会のゆくえ」のメインテーマは多孔化した社会でのコミュニケーションの問題と継承なので、サラッと書かれているけど見逃せない話として「ウェブ社会の思想」から引き継がれている「遍在する私」「データとしての私が先回りする」という話があって、それは出版当時よりもソーシャルメディアやネットショッピング、その他Webサービスの利用が日常的になった2013年の今の方がより直接影響のある話になっていると思うので、2013/10/20の阿佐ヶ谷での読書会で話したいです。

「遍在する私」「データとしての私が先回りする」というのは、本人ではなくクレジットカードや銀行の信用情報で与信判断されるように、日常的に利用するWebサービスの行動履歴の集合によって判断されるということを指します。具体例としてよく挙げられるのは、就職活動の際にTwitterやFacebookの書き込みが採用を左右するといったものです。

それだけにとどまらず、「データの私」を参照することで先回りして選択肢を提示することが可能になり、本来なら選ぶかもしれなかった選択肢の存在が消えてしまうことになったり、もっと酷ければ恣意的な選別や分離を行われてもその事に気づくことすらできないということにもなりかねないという話です。「ウェブ社会の思想」では、空港の入国審査で一人ずつ入室させ、特定の人種の場合は左の扉を、それ以外なら右の扉を開いて前者のみに対して厳しくボディチェックするという例が紹介されていました。

また、Amazonのレコメンドシステムについて、目の前に示される自分専用にパーソナライズされたかに見える選択肢が「本当の私に」に対する「玄人の判断」による提案ではなく、「先回りするデータとしての私」に対して「行動履歴からのシステム化」された提案となっていることを示しています。
別にAmazonの本のレコメンドなんてどうでもいいじゃないか。と思うかもしれませんが、これと同様のことが人生に大きく影響する場合に起これば、あたかも自分が選択した結果であるかのように、偽りの宿命の中に閉じ込められることになってしまう可能性があります。具体例を挙げるなら、適職診断や性格診断などが挙げられるでしょう。

未読ですが、「“反転”するグローバリゼーション」では占いやスピリチュアルによって駆動される宿命についても書かれているそうなので、そちらも興味があります。

 
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2013/10/14

多孔化する関西クラスタ「ウェブ社会のゆくえ」読書会(補講)感想2

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2013/10/12 13:00〜17:00 @GACCOH
鈴木謙介「ウェブ社会のゆくえ」読書会(補講)、感想の続き。

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読書会で継承の話をする前に、「誰も戦争を教えてくれなかった」を読むべきだろうなあ

昨日の議論では、第二次世界大戦の戦勝国であり、現在進行形で戦争をしている国でもあるアメリカの戦争博物館は日本のそれとは違い、戦争の悲惨さを訴えるのではなく、「我々は試練を乗り越え成長した」というポジティブなものになっている。とか、写真やデータや資料は豊富ながらも、単に展示するだけで来場者に負担をしいる(集中力や真面目さや読解・共感能力)日本で多く見られる戦争博物館の展示方法では継承の手段としては弱いのでは。という話になり、現代アートや物語りの話へ。

読書会の参加者から「物語り(過去物語語り)での継承では、なぜ戦争が起こったのかといったことや、復興の過程でどういう問題が生じて対応はどうしたか。といった具体的な情報が欠落するのでは」という疑問が出された。その通りではあるが、これまでは継承の方法としてそのような「情報を残す」ことを重視しすぎた結果、真面目で正しく面白味のない、またネガティブな面を強調し過ぎてしまう形になり、結果忘却が進んでしまった。という反省から、「物語り」的な手法が注目されているのではないかと応答した。「ウェブ社会のゆくえ」でも、研究所や専門家、博物館には研究成果や資料が蓄積されているものの、一般においては記憶の風化が進んでいるという話が紹介されている。資料やデータによる継承と物語りによる継承は二項対立ではなく、過去の反省から最近は後者が重視されているという話かなと

過去は語ることで作られる。という話は、佐々木敦さんの「未知との遭遇」で取り上げられていた。Charlieが「ウェブ社会の思想」で多くのページを割いて説明していた、ヒミズについてや運命論や宿命についても書かれている本なので、読み返してみようと思う。Charlieと佐々木さんでは宿命にたいする考え方はだいぶ違う気もするけど。

で話を戻すと、「人間のもっと軽薄な部分や欲望の部分にアプローチすべき」みたいなことを考えた記憶の継承を提示しているのがゲンロンの「福島第一原発観光地化計画」で、「人間っていうのはどうしようもなく不完全で、バカでダメなやつなんだよ」という東さんらしい考え方だと思う。僕としては全くその通りだと思うけれど、「真剣と深刻の区別がつかない」でおなじみの日本人のダメさや、ゲンロン通信の東×宮台対談にあった「シリアスと娯楽をはっきり分ける傾向」にどう抵抗するか、あるいは懐柔するのかみたいな問題は結構デカいですよね。この対談の中で、緩い共感やメンバーシップから生まれる公共性ではなく、「あいつらは俺たちとは違う」という放置、切断のコミュニケーションが必要なのではないかと言っているのは面白いなと思いました。

日本人共感スキル高すぎてダメ。というのは、かんくら読書会でちょっと噛み合わない感じのあった「日本人の特殊性」についての高原さんとCharlieのやり取りでもあったし、千葉さんの新著のテーマが切断で、関係あるなと感じた。

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GACCOH
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多孔化する関西クラスタ「ウェブ社会のゆくえ」読書会(補講)感想1

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2013/10/12 13:00〜17:00 @GACCOH

2013/10/20に開催する、鈴木謙介「ウェブ社会のゆくえ」の読書会に備えて本を読み込んだり、関連書籍を読んだり、Web媒体のインタビュー記事を読んだりと色々やったのをアウトプットしようと思い、関西クラスタの主催する「ウェブ社会のゆくえ」読書会(補講)にSkype参加させてもらいました。まさに多孔化する読書会!(コロンブスさんありがとう)

Skype参加の身で割り込むの申し訳ないなと思いながらも、色々気になってる事を話したり聞いたりする事ができて、考えをまとめることができました。やはりアウトプット大事ですね。

読書会全体の印象としては、身近でわかりやすい第一部に話が集中すると思いきや、社会的な観点や継承について語っている第二部の話でほとんどが占められていたことが意外でした。

自分でガンガン喋っておいてこんな事言うのもアレですが、女性の参加者は話に入れず(入らず?)でもっぱら聞き手に回ることが多いように思いました。人の意見を聞くのも楽しい。というのであればいいのですが、積極的に議論するような男性の好むコミュニケーションスタイルが苦手で話したいけど話せない。というのであれば、それは改善すべき点なのかなと思いました。これは今回にだけの話ではなくて、自分の主催するイベントでもそうなりがちです。男性の参加者の割合が高いことが多いので、なかなか難しいですね。

...とこのまま所感だけで無限に書けそうなので、この辺でやめておきましょう。考察と話したことのまとめは、分割して次の投稿に書こうと思います。

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GACCOH
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2013/02/11

フローレンスに寄付しようと思って考えた事 -費用対効果の範囲と寄付の習慣-

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NPO法人の、フローレンスの活動に注目しています。
フローレンスは、子供が風邪を引いたりして看病が必要な時に一時的に子供を預かる「病児保育」という分野で注目されている若いNPOである。代表の駒崎氏がとても面白く、twitterでフォローしているし、ブログもこまめにチェックしている(最近はテレビにもよく出演されているので知っている人も多いかもしれない)今だに「標準家庭」を基準とした保育行政は明らかに間違っていると思うので、彼の活動は本当に素晴らしいし価値のあるものだと思う。

フローレンスのホームページによると、ひとり親家庭にもフローレンスを利用してもらえるよう、サポート隊員(寄付会員)制度というものがあり、月1050円から支援することができる。クレジットカードで簡単に支援することが出来るし、一日あたりの負担金額は、たったの35円である。興味があれば寄付をしてみてはいかがだろうか。



と、いかにも意識高い感じの記事であるが、話はここで終わらない。実は、フローレンスに寄付をしたことがないのである。駒崎さんがテレビで熱く話している姿を見て好感を持っているし、著書は何冊か読んでいて主張には同意することも多く、応援したいと思っている。それでもなかなか「寄付する」ボタンを押すことが出来ない。

すでに書いたとおり、月にたった1,050円である。年間にして12,600円と考えると少し高いが、払えない金額ではない。「Hulu(12,000円/年)」には加入しているし、「津田大介メールマガジン(7,680円/年)」を購読し、「ゲンロン友の会(10,500円/年)」に入会していることを考えると、定期購読的なものに抵抗があるわけではなさそうである。

色々考えた結果、自分の費用対効果の「効果」の中に、寄付はまだ含まれていないのだと気がついた。一言でいえば、損した気分になるのである(費用に対する「効果」が返ってこないように感じられて)。だから「寄付する」ボタンを押すことができない。
つまり、「まったく見ず知らずの人のために寄付をする」というのは「費用対効果の許容度」を超えている。(範囲の外にある。と言った方が正確かもしれない)


「自分がそれを直接利用することがなかったとしても、セーフティネットを広げ、弱い人に優しい社会を作ることは、回り回って住みやすい社会を作る事になる。」
という考えは理解できるものの、なかなか身銭を切ることができない。
お金は1万円であれば1万円分の、食べ物なり、電化製品なり、サービスなりと交換する事ができる。どうしても1万円を寄付する事による、交換のイメージが浮かばないのである。。。

モノそのもの(車とかハイブランドのバッグとか)が重要。という価値観は卒業しているし、モノは少なめに、経験に重きを置きたいという風に考えてはいるものの、自分の費用対効果の範囲は思ったより狭いのだなという事を知った。

----- ここまでが2012年の末に書いた事 ------↑

(下書きだけして公開しなかったので)

↓----- ここからが2013年2月に追記したこと ------

費用対効果という言葉の範囲を少し広げる。

自分にもできる事として、「自分のため」だけではなく、「親しい人を喜ばせるため」にお金を使う事をやってみようと思って、おすすめの書籍やメイド服をAmazonで贈ったりしています。
googleの20%ルールの、お金の使い方版みたいな事ですね。
少し悩みはするものの、3000円寄付するよりは、3000円のプレゼントを贈る事の方が抵抗がありません。
思いのほか喜んでもらえるので、次は何がいいかなといったワクワク感もあります。(裏があるんじゃないのかと勘ぐられる事もたまにありますがw)


そしてついに・・・

この記事を書くのためにフローレンスのWebサイトを見ていたら、「ふくしまインドアパーク」という東北支援活動のページをみつけました。
フローレンス本体には継続的な寄付しかありませんでしたが(2013年2月現在)、こちらでは継続的な支援のほかに一回限りの寄付ができるようです。
これなら気軽にできると、試しに1000円寄付してみました。(決済ボタンを押す手はプルプルしていましたが・・・たった1000円なのにw)

小さな成功体験の積み重ねが少しずつ活動範囲を広げていくように、「費用対効果」の範囲も少しずつ広げることができればいいなと思っています。

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フローレンス
ふくしまインドアパーク
グラハム・ヒル「ものは少なく、幸せは多めに」



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2013/02/10

【読書メモ】PLANETS 8『食べログ』の研究 -外食文化とコミュニケーション

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この記事は、PLANETS 8に掲載された「『食べログ』の研究」の読書メモです。




ネットがblog→twitterとライトな方向に流れているように、食に対する考えもデフレ以前以後で変わってきている。それを分かりやすく示すのが、美味しんぼ/孤独のグルメという、料理漫画の違いである。食べ物にまつわる蘊蓄を饒舌に語る山岡士郎と、「俺はまるで人間火力発電所だ」という全く意味不明なコメントをする井之頭五郎。ここから見て取れるのは、言わば「意味」から「実況」への変化とでもいうべきものである。

食べログはレビューの際に最低300字という条件を設けており、140字以内という制限を設けるtwitterとは真逆である。そこには食に対する食べログの意図が明確に表れている。事実レストランに足を運び熱心にレビューを書くのは40代以上を中心とするデフレ以前の世代であり、20代、30代の若者は店を探すのに利用するだけでほとんどレビューは書かない。そこには「レビュアー会員/その他のユーザー」という二重構造が生じている。

コストパフォーマンス重視で言わば「動物的」な若者の傾向を苦々しく思っているレビュアー会員もいるものの、レビュアー会員が見つけた隠れた名店をライトユーザーが広めて人気店が生まれる例は多く、食べログのアーキテクチャは意外とうまく機能しているようだ。
2人のレビュアー会員と1人のゲスト会員のインタビューが素晴らしく、登録無しで近くのお店を探すライトユーザーの私でも「食べログ」がどういうもなのか理解する事ができた。

食べ歩きが好きな人や、文化史に興味のある人、食べログがどんなものか興味があるという人には、一読をお勧めしたい。
出会い系としての食べログにも触れられているので、若い女の子と出会いたい食通のおじさんにも強くおすすめする。
この「『食べログ』の研究」を読むためだけにPLANETS 8を買っても損はないと断言できる、充実のレポードである。


おまけ

先日の関西クラスタの読書会で、「五郎さんはなぜ孤独なのか」という面白い話を聞いた。
"孤独のグルメの五郎さんがなぜ孤独なのかというと、下戸で酒が飲めないために、食のコミュニケーションに参入する事ができないからである。しかし最近は酒が飲めなくても許されるので、昔とはすこし事情が違ってきている。
食べログがレビューによるレストランの試食を可能にすることで「いい店を知ってるやつが偉い」というルールを変えたことは外食文化に大きな影響を与えた事は間違いない。同時に食におけるお酒に対する考えや,役割の変化も外食文化を考える上で重要なのではないか。"

そういう話だと思って疑問に思った事はなかったので、「五郎さんはなぜ孤独なのか」という問い自体がとても新鮮だったけど、お酒好きとしては、「食とコミュニケーションと酒」というのはとても面白いと思いました。ただ、下戸であるために会社の飲み会でのコミュニケーションから疎外される事はあったとしても、個人的な友好関係でそこまでのことはないのではないかと思いました。会社での関係が大きなウェイトを占めていた、少し前の世代のコミュニケーション。という話であれば、その通りなのかもしれませんが。

スコッチウィスキーが好きなのでBarに通っていますが、下戸でロングカクテルを1,2杯しか飲まないお客さんもいますし、全くお酒が飲めなくて紅茶やコーヒーしか飲まないお客さんもいます。Barというのは、あくまでお酒とバーテンダーが媒介する交流の場であって、お酒そのものよりもそこで発生するコミュニケーションの方が主だったりします(オーセンティックなBarはお酒が主で、お客同士のコミュニケーションはあまりありませんが)。そしてお酒が主だとしても、居酒屋のような飲み方をする人はおらず、居心地のいいものです。お酒が苦手な人がBarに抱いている排他的なイメージは、現実とはすこし違っているかもしれません。
お酒を飲めない人も楽しめる食事の場や、コミュニケーションできる空間設計という話はとても興味がありますが、ともすれば「会社のタバコ部屋で全てが決まるのはけしからん」というふうな議論になりがちで、その点には疑問を覚えます。

ルサンチマンからはじまる連帯では、広がりが生まれないように思うのです。


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2013/02/03

僕の未熟な写真論 -僕は平気なんです

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「窓は風景を切りとる装置である」というYKK APのCMがとても好きで、写真を撮る時も「カメラという装置でどんな風景を切りとるか」そんな事を考えている。カメラが窓と違うところは、窓をどこに設置するかを選べるところと、その風景のどの瞬間を切り取るかを決定できるところである。

無限のかのように広がる空間のどこに窓を設置するかという「横軸」と、通り過ぎれば二度と取り戻せない時間という「縦軸」。同じ人の笑った顔であっても一つとして同じものはなく、チャンスは一度きり。場の流れと雰囲気を予想して先回りしてカメラを構え、縦軸と横軸の交わる瞬間を静かに待つ。

ブツ撮りや風景写真、照明や衣装を作り込むスチル撮影にあまり興味が向かない理由はそこにあって、いうならばライブカメラマンをやりたいのである。昨晩Tweetしたように、すべての写真は僕の視点であり、記憶であり、感情と思い出は自分の写っていない写真にこそアーカイブされる。

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なんでこんな事を考えたかと言うと、下のtweetからの派生ですね。


まあこんな理由を伝えても仕方がないし、せっかくの気遣いを断るのも悪いので、「いやー写真苦手なんでいいんですよ。自分は写らなくても」とかいながらもフレームに収まるんですけど(笑)

いつも気を遣ってもらってありがとうございます。

----- 関連記事
2011年を振返って

----- 追記
友人からこんなコメントが届きました。
その視点はなかった。というか人の記憶に残りたいとは思っていないのかも。

君が画像をアップした時から、その画像は君の視点からみんなの視点に変わるんだ。
だから、君も写っていないとダメなんです。
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2013/01/18

ネガティブなレイベリングと気遣いの強要

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「私って○○だから・・・」
で始まる自己紹介をしていませんか?ブサイクだから、太っているから、オバサンだから、オタクだから・・・
最近はこじらせ女子も加わりましたね。

それでは「こじらせ女子」で話を進めましょう。

こじらせているのは構わないんだけど、「こじらせ女子です」と人に自己紹介するのはちょっと間違っているかもしれません。
なぜなら、良識のある大人であれば「知らんがな。こじらせて勝手に死ね」と思っていても思ったまま口に出すわけにはいかないからです。そんな事ないよ〜と言ったり、話を聞いてあげたり、何らかのフォローをせざるを得ないわけです。
○○な私アピール(ネガティブ方面)は、度を越せば気遣いの強要につながります。
少なくとも「論点先取の自己防衛うざい」と思われる可能性は考慮しておくべきでしょう。コミュニケーションの手段としてはありかなとも思いますが、毎回それなのはあまりに辛い。。。
仲間内でのネタ的なコミュニケーションなら問題はないのですけどね。

そんなつもりはなくて、単に自分の事を相手に知ってもらいたいだけですか?本当に?心のどこかでちょっと期待してたりしませんか?本当のこじらせは気を遣われるのが申し訳なくて、自己開示とかできないんですよ。

「俺って草食男子だから、なかなか彼女できないんだよね」って自分で言う人は下心全開な感じがしますよね。
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2013/01/17

行きすぎた女子力アピールはなぜウザいか

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行きすぎた女子力アピールを面倒に感じるのは「努力した私はなんらかの見返りを得て当然」という意識が透けて見えるからでしょう。

先日こんな写真がバズっていました。
http://twitpic.com/buzs3j
自分にお金や時間を使ってもらう事の機会損失(相手にとっての)とか考えないんですかね。釣りにあえてマジレスをすると、「女の子だから」をアイデンティティの核にしていると、自分より若い子が登場してチヤホヤしてもらえなくなったり、歳を取って相手にされなくなった時がかなり辛いのでやめた方がよいと思います。

「もし自分が男性だったら、果たして同じ扱いをしてもらえるか?」って考えると、自分の価値が見つかるんじゃないでしょうか。

余談ですが、「女性の努力に対してお金で報いるべき」という主張に対する男性側の答えは、「成果主義でお願いします」となります。社会は厳しい
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2013/01/16

エスキモーの白/言葉と文化

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photo credit: AlaskaTeacher via photopin cc

エスキモーの白

彼らは白を表す言葉を何十種類も持っている。
わずかな色の違いでクレパスを避け、吹雪の襲来を予測する。
そこに確かにエスキモーの白は存在するが、我々にはそれを見ることはできない。
人は見えるから言葉を作るのではなく、言葉があって初めて見ることができるのである。


photo credit: EJP Photo via photopin cc

言葉と文化

霧雨、俄雨、五月雨、恵雨、氷雨、時雨、慈雨、夕立、秋雨、涙雨、、、
日本語には「雨」を表す言葉がたくさんある。
言葉の多様性は、その文化が大切にするものを見つける手掛かりとなる。
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2013/01/12

体罰容認の前に押さえておくべき2つのこと

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1.体罰は自己評価を低くする
愛の鞭なのか単なる八つ当たりなのかという区別は子供には難しく、殴られたという結果だけが残ります。子供ながらに何とか受け止めて解釈した結果は「自分が悪い事をしたからだ」という風になりがちで、自己評価が低くなります。その結果として、失敗を恐れて挑戦を避けるようになって成長の機会を逃すだけでなく、他人から不当な扱いを受けた時に気然とした態度を取れず不利益を被る可能性が高くなります。


2.屍は語らない
「体育会系でシバキ上げられ鍛えられた結果今がある」みたいな事を言うなら、「その足元にどれだけの屍が転がってるんですか?」って質問に答える必要があります。元いじめっ子の話はよく聞くのに、いじめられっ子の話はほとんど聞かないのは、話したがる人が少ないからです。海外インターンシップで女子大学生が亡くなった時「失敗した人は口を噤み成功者は声高に語る。そこも加味して参加するか考えるだろ普通。危機意識が低すぎる」ってみんな言ってましたよね?

「子供は未来からの留学生 (`・ω・´)キリッ暴力は無条件で悪!」みたいなことは死んでもいいませんが(気持ち悪いので)、最低でも上記の二点を考慮した上で体罰容認を主張すべきだと思います。

ふたつを天秤にかけてみると、「体罰に耐えることで成長できる」っていうメリットはいささか軽すぎるのではないかと思います。
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2012/12/29

2012年のふぁぼりBest10を作ってみた

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納会が始まるまでの間暇だったので、2012年Bestふぁぼ10個を選んでみました。
順不同。
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特にLifeクラスタはこの言葉を噛み締めて2013年を迎えるべき。「ものすごくうまくいっても」というのがポイントですね。失敗した場合は推して知るべしみたいな。今年のBestFavです。
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これ読んでちょっと元気でたんですよ。アマチュアは「愛するもの」という意味である。というのと似ていますね。鈴木さん大好きです。
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Blogの過去記事を見返したら、「コミュニティに乗っかるんじゃなくて、自分でコミュニティをつくりたい」「コミュニティとコミュニティをブリッジする人になりたい」みたいな事を書いていました。それがちょっと実現したtweet。
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12月のLifeオフ会でも話しましたが、就職に悩む学生に対して「好きな仕事をしろ」or「とりあえず働け」という極端なアドバイスをする大人が多いです。その間として、「大人は楽しい事を隠している」という立場の人が少しくらいいた方がいいんじゃないかというのが僕の考えです。(BarCountZeroのマスターの受け売りですけど)大人のたしなみとして。
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あの広告にはこんな隠された意味があったんですね。これに限らずなんですが、女性ファッション誌の煽り記事や各種CMを見ていると「お前ら女子は我々の発信する価値観を内面化し、一生消費し続けていればいいのだ。それが資本主義社会(意訳)」というメッセージを感じます。完全にナメられているとしか。
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「モテないと自重気味に語る前に、人に自分の不安を語るのをやめなさい」というtweetも最高でしたが、こちらをチョイス。前半部分はよく言われる事なのですが、後半部分の「いい人に出会ったと思ってもらえる人になる」というのは見落としがちな観点ですよね。来年はこれを目指します。
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正論過ぎて笑える。若くいたいという願望は否定しないのですが、精神的なエイジングを拒否する態度はあまりに子供っぽくて「もういい歳なんだからさ」と思います。エイジングできないのと、エイジングを拒否するのとは似ているようで全然違いますよね。世の中の男性(女性もかも)は、「バカリズムよくぞ言ってくれた!!!」と思った事でしょう。
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この人の古文パロディtweetにはいつも脱帽。こんな上司はいとウザし。
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先日のLifeオフ会の3次会でのtweet。小人論は大変盛り上がりました。「なかなか姫になんてなれないんだよ」と言いながら、7人の男性に囲まれている西森さんの姫感がよかった。女性は王子様を望み、男性は自らが小人となれる姫としか結婚しない。女性には妥協意外の選択肢はないのか!?みたいな話をしました。西森さんの愛されっぷりは見ていて微笑ましかったです。
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関西クラスタと会ってから、東浩紀のを色々読みました。「誤配を起こすこと」「島宇宙を繋げる、あるいは撹拌すること」という一貫して持っている問題意識に強く共感します。ソーシャルはローコストに人間関係を維持、強化するためのものであって、結局リアルが一番大切という話になりますね。「会いに行ける自由を獲得する為に仕事をする」というのが2013年の目標です。やっとゲンロン友の会に入会しました。
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以上となります。
作ると結構楽しいので、ぜひやってみてください。
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2012/12/24

オフ会で印象的だった事そしてメリークリスマス

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photo credit: PetitPlat - Stephanie Kilgast via photopin cc

昨日のオフ会で一番印象に残っているのは、自分の回りには似た人が自然と集まり、物理的には近くても全然出会う事もない属性の人がいるという話。それは学歴の違いであったり、国籍の違いであったり、性的嗜好の違い(この表現は問題ない?)だったりする。

だからこそ、それを撹拌したり繋げたりする事が大切というか、そうする事で面白い事が起こるんじゃないだろうかと思う。普通なら出会うはずのなかった人が出会うというのが面白い。Barやジムでもいいんだけど、もっと気軽でフラットなソーシャルメディアはキッカケとして最適なのではないか

すごく頭がいいとか、能力が高いという訳ではなくても、バックグラウンドが違う人と話すと思いもよらない切り口の考え方に出会えるようで、目からウロコ体験をする事が多かった。

それから単に知らなかった分野の話を聞けるという事が新鮮だし、自分の身の回りでは当然の能力(プログラム組めるとか料理が得意とか)を必要とする人がいるという事実。そしてそこで評価されるという経験がセルフエスティーム(自尊心)を高める。小さな成功体験を積めること。

「小さな成功体験」というところがポイントで、フリーランスとしてやってけるような高度なスキルがなくとも役にたてる場があるというのが重要。いわゆるウイークタイズ(弱い絆)というやつですよね。家族でも仕事でもなく、趣味的なテーマで人を集めると多様性が生まれて良いのではないか

そして向上心のある人、人の役に立ちたい人は、発見した自分の強みを伸ばしアウトプットの質を上げていく。小さな成功体験の積み重ねが、素人をすごいアマチュアへと成長させる。

charlieは「ソーシャルメディアは承認は与えるけど自信を与えない」と言っていたけど、それは仲間内で閉じていて外に出て行かないからであって、一歩踏み出せば「コミュニケーションのコストを下げるメリット×小さな成功体験」といういいとこ取りができるのではないだろうか。

こういう事いうと「外に出られない人間をどうするんだ」とか「少しのスキルもない人はどうすればいいんだ」とか言われるけど、自力でどうにかするか、自分がリーダーになれる場所を作るかしてください。としか言えない。母親じゃないしそこまで面倒見られないから。

きっとスイッチはセフティゾーンの外にある。ひとりでもふたりでもいいので、オフ会イベントに参加して「こんな考えの人もいるんだ」とか、「自分にもできる事があると気づきました」とかいう人が出てくるといいなと思います。メリークリスマス(`・ω・´)ノ

夜が明けて幸せな人が一人でも増えていますように。

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2012/12/02

深夜の「美人が採用される理由」tweetが600RTを超えた話

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tweetへのリンク




タイムラインを見てたら「美人」とか「就活」といった単語が目に入ったので、深夜のノリで流したこのtweet。
寝る前は3RTくらいだったのですが、日付変わって昼頃からガンガンRTされ始めました。
この記事を書いている時点ではなんと630RT。

分かったこと

  • フォロワーは意外と増えない(16人増加)
  • リプライは意外とこない(友達を除けば数件)
  • 絡んでくる人はいなかった(200RT越えくらいでドキドキしていましたが)

あるタイミングで爆発的にRTされ始めたので、インフルエンサーは誰なのかを調べたいところなのですが、ソーシャルメディア分析の会社に勤めてる友人に聞いても公式RTの拡散ルートを調べる無料ツールが見つからなかったので断念しました。
特定のキーワードを含むtweetを分析するものはいくつかあったんですけど。

割と普通の内容だと思うのですが、600人もの方にRTされた理由は何でしょう。
数値化したのがよかったのか、それとも単に美人ネタが好きだからでしょうか?
もしRTしてくれた方がいらっしゃいましたら、コメントやリプライで教えてもらえると嬉しいです。

肩身を狭い思いをしている美人さんに向けたエアリプライ的な内容だったのですが、確認したところそういう方からのフォローが増えた様子はありませんでした。(残念)

言いたかったこと


言いたかったのは、「コーチングやらなにやらでモチベートされて頑張るのも、美人にいいとこ見せようと頑張るのも結果は同じなんだから、"容姿も能力のうち"でしょ?」ということ。
容姿がいいことを鼻にかけてるのはどうかと思いますが、それを全く認めないというのは違うだろうと思う訳です。
松田さんの「カタストロフ(結婚する、職場で彼氏ができる)が発生するリスク」「容姿含め評価して採用した女の子が、そこを理解してくれない事がままあって困る」という話は考えもしなかったので、とても興味深いです。
カタストロフに関しては、小人達はそれでも健気にがんばる。と思いますがいかがでしょうか。

今回は極端な内容ではあるもののポジティブなtweetでしたが、人の悪口を書いたのがこんな勢いで広がる可能性もなきにしもあらずなので、ちょっと気をつけた方がいいなと思いました。

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2012/11/30

関西クラスタに会いに行った話

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2012/11/18 日曜日の、大学の友達の結婚式のため、神戸へ。
関東に住んでいるので、神戸までの交通費+宿泊費+ご祝儀って考えるとやっぱり悩む訳ですが、久しぶりに大学時代の友人に会ういい機会だと思って参加することにしました。

そして、旅行の手配をしながら頭に浮かんだのは「関西クラスタに会って話を聞きたい」ということ。

【説明しよう!】
関西クラスタとは、株式会社ゲンロンが発行している雑誌「思想地図β」の関西の読者が企画している集まりで、読書会を開催したり、バーベキューをやったりと活発に活動していることで有名。(東さん曰く、「やつらはマジリア充。思想界ではあるまじき事」)

10月から「文化系トークラジオLife」のオフ会を企画しているので、コミュニティを盛り上げる秘訣とか、面白いイベントについて教えてもらいたいと思ったのと、僕自身も東浩紀氏をフォローしていて「思想地図β」読者でもあるので、単に話をしたいというのもあった。


【以下、関西クラスタに出会うまで。ダラダラ書いても退屈なので箇条書き形式で】

・まったく面識はなくツテもなかったのでどうしようかなーと思っていた。

・とりあえず関西クラスタの代表のコロンブスさん(@columbus20)のTwitterをチラ見。

・Lifeオフ会告知TweetをRTしてくれているのを発見。

・これはチャンスとばかりにリプライを送る。

・何度かTweetでやり取りをする。
 「東京でLifeオフ会やってるので、活発に活動している関西クラスタに注目してる」とか
 「関西クラスタのアジトのGACCOH行こうと思ったけど、京都で遠いからあきらめた」とか
 「日曜に神戸で友達の結婚式で月曜に帰るんです」とか

・コロンブスさんから「日曜は予定ないから、神戸まで行きますよ」という神のようなTweetが届く。

・そして、Lifeオフ会 × 関西クラスタミーティング開催決定。
 (梅田にホテルを予約していたので、夜に茶屋町あたりで会うことに)

奇跡が起きた!


さらに付け加えると、結婚式の翌日が月曜日で二次会でみんな帰ることが予想されたので、本当は日帰りプランにする予定でした。ところが貯めたマイルを使って特典航空券を予約することにしたので、全然空席がない。(二週間前なのに!)仕方なく変則的な日程を組むことに。

(こんな日程)
土曜日 21:00 羽田→関空 22:30、親戚の家に宿泊
日曜日 12:00 結婚式、20:30 二次会終了、梅田のホテル宿泊
月曜日 12:00 伊丹→羽田 13:30

そして出発の飛行機が遅れ(当日東京はすごい大雨だった)親戚の家にたどり着けず、アメ村のカプセルホテルに泊まるというおまけまで付きました。
もちろん日程を組んだのはコロンブスさんにコンタクトを取る前だったので、偶然が重なっていい方向に転んだ格好になります。実は「たぶん会えるんじゃないかな?」という気がしたので、新幹線に変更することはしなかったんですけど。

関西クラスタと話した事


肝心の飲み会の内容は、オフレコの話ばっかりだったのでほとんどここには書けなかったりするw

色々な話をした中でひとつだけ選んで書くとすれば、一番強く感じたのは、東京との熱量の差。
関西には「足りないなら自分たちで作ってしまえ!」というパワーがあるように思う。
大阪が東京に次ぐ大きな都市だとはいえ、コンテンツの質・量ともに東京には遠く及ばない。
こちらではイベントをこまめにチェックすれば著者の話を聴く機会なんていくらでもあるし、知り合いのツテをたどれば本人に会うこともできないことじゃない。文化的な体験の機会という面では東京のほうが有利なのは間違いない。でも、そのせいで消費するだけで満足してしまっている部分もあるんじゃないかと思う。

話に出たのは、東京でイベントを企画すると人は集まるんだけど、「そこにコミットしよう」「自分の時間を使ってイベントを盛り上げよう」という感覚の人が少ない気がするという事。損することを嫌って、楽しいところだけ消費して済ませる、言うならば「東京の大人たちのフリーライダー感」みたいなものがあって、そこが大阪に負けていると感じる理由なんじゃないかと思う。
故郷は遠きにありて思ふものなり 。というのは少し意味が違うけど、地理的な制約によって生まれる熱意は予想以上に大きい。

僕は関西の人たちの関わり方の方が楽しそうだと思うし、得るものは多いだろうと思った。
文化系トークラジオLifeの「現代の現代思想」で東さんが話していた、「未来の作り手は誰がどうやって育てるんですか」とか「シーンを作ろうと行動するヤツ、盛り上げるようとするヤツが一番偉い」というのは多分こういう事なんだろう。

最後に

結婚式に呼んでくれた友人に心からの感謝を。
大学時代の友達に久しぶりに再会できただけでなく、偶然が重なって関西クラスタと会う事ができました。東京に留まっていたら、こんな出逢いは絶対にありませんでした。Lifeのイベントの事を抜きにしても、僕にとって大切な出会いになるだろうと思っています。

会った事もないのにいきなりの連絡に応えてくれた関西クラスタのみなさん、本当にありがとうございます。みんなとても頭がよくて少し不安になりましたが、とても刺激的で楽しい時間でした。関西クラスタはLifeクラスタでもあるという事でしたので、一緒に何か面白い事ができればいいなと思います。近いうちにLife関連のイベントを企画するという事で、実現を楽しみにしています。(お財布に余裕があれば)参加したいところです。
とりあえず、こないだ黒幕にお会いした時に関西クラスタの事を話しておきました。Life関西出張もあるかもしれません。

こんな偶然はなかなか起こらないとは思いますが、外に出なければ可能性はゼロです。
「フラグは外にしかない」という事を自分に言い聞かせて、空振りを怖がらずに外へ出かけようと思います。
本当は出不精なのですけどね。
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関西クラスタ
文化系トークラジオLife
株式会社ゲンロン
関西クラスタ 公式Twitterアカウント
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2012/11/08

Life感想戦「うれしはずかし文化的初体験」その4(2012/10)

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【ネット時代の音楽の消費についての話】

「ネットで検索して時系列を無視して知識を深める事ができる」という話で、佐々木さんは「”ちゃんとした人”は順序関係を後追いで調べるんだろうけど」という表現をしているんだけど、"ちゃんとした"ってなんだろう。
「歴史を押さえる」という文化系の人々の常識は、いつまでも常識のままなのか。
映画や書籍は違うかもしれないけど、こと音楽に関しては認識が変わってきているというか、そもそも意識もされなくなっていくような気がする。

iTunes/Youtube時代では全ての音源が同列に扱われるので、Beatlesの次にColdplayが、尾崎豊の次に平井堅が再生されるみたいな事が当たり前のように起こる。
つまり、全ての楽曲は現在に所属する。
生まれた頃からiPodがあれば、音楽を聴きながら歴史を意識する事は減るんじゃないか。

レコードからCDに変わってアルバムを通して聴く文化が薄れたように、CDからシリコンオーディオプレイヤーに変わる事で、歴史を意識して音楽を聴くという文化も薄れていく可能性があるのでは。
それを今は「動物化」と呼ぶのかもしれないけど、おっさんガンダムオタクが敬遠されるように、「あいつ音楽史とか語ってマジださくね?」みたいな時代が来るのかもしれないと思いました。

今の常識は未来の非常識となるのかも。
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2012/10/31

Life感想戦「うれしはずかし文化的初体験」その3(2012/10)

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【歴史の重みがありすぎて、一歩を踏み出すことができない話】

黒幕の「SNSの普及で古参に絡まれるリスクが高まり、萎縮して発言を控えるようになってしまう」という話があった。
前のエントリーでいかに古参がウザいかという事を長々と書いたので、ここではまた別の話。
ほとんどの文化系の人は「知識が豊富であること」を偉いと思っているし、そういう人が尊敬の対象になる。(何も間違っていないけど)
なのでとても礼儀正しく紳士的な古参の人を相手にしたときも、肩身の狭さというか、下手なこと言いたくないから黙っとこうみたいな事になりがち。
ものすごい知識を蓄えたいわゆる古参と新参者がいるのは今も昔も変わらないんだけど、昔は情報を手に入れることが難しかったから、高い壁があることを認識しながらもとりあえず目の前のアルバム一枚、本一冊から始めることができた。でもインターネットの発展によって「目の前の巨人に追いつくための、押さえるべきとんでもなく長い作品リスト」が可視化されてしまい、一歩目を踏み出す前にあきらめてしまう。あるいは何から手をつけていいかわからず足がすくむという。

このあたりの話は今回ゲストに登場した佐々木敦さんの「未知との遭遇」で詳しく書かれているので、好きなジャンルを極めようとした時のあの無力感に覚えのある人は読んでみるといいと思う。(女子を食事に誘うかどうか迷ってる人にもおすすめ。イブイブに食事にいけるかも知れません)

ちなみに「未知との遭遇」には、僕が高校の時に試験問題で読んで衝撃を受けた「酋長の祈り」の話も収録されています。
すでに結果が確定しているはずの過去の出来事に対して祈りをささげる事は合理的かという問いですね。
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2012/10/30

Life感想戦「うれしはずかし文化的初体験」その2(2012/10)

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【古参はめんどくさいという話】

黒幕の「SNSが正しい中二病生活を阻害する」という話で思い出したのは、このネタツイート。

"JOJOはにわか知識で語っても笑って突っ込んで貰える。ガンダムはにわか知識で語ると重箱の隅までつつかれて面倒この上ない。ファイブスター物語はにわか知識で語ると相手が「あれそんな設定あったのか…」と困り顔で資料を漁りだす。ボトムズをにわか知識で語ると右肩を赤く塗られる。"@averadehttp://topsy.com/twitter.com/averade/status/220783177835360256

特にガンダムおたくのウザさは群を抜いていて、どのアニメの話でもガンダム語りからスタートするover40の方々は本当にどうにかならないものかと思う。同世代だからといって全員がガンダムを観てる訳ではないし、いわんや若者をや。
(伏線張りすぎ、話広がりすぎで収拾がつかなくなっているFSSファンは置いておくとして)JOJOファンには「素晴らしい荒木飛呂彦作品を多くの人に理解して欲しい」という作品愛を感じるのに対して、ガンダムファンには「俺ってすごい」的な自己愛の強さしか感じないというかなんというか。

古参がうるさいから気軽に発言できない問題、更にはウザい古参が絡んでくるかもしれないから、先回りして発言するのやめておこうというのはとてもよく分かる。面と向かって話していれば年齢もわかるので「高校生くらいだとまあ生意気なこと言うもんだよな。うむうむ。俺はもっとひどかった。」って感じで大人な対応もできるけど、ソーシャルメディアだとその辺フラットになるので、ムカッときて脊髄反射で論破してブロックした後に「あー高校生だったかー」みたいなことになりがち。(東さんはプロフィール確認した上で晒し上げてブロックしてるけど)
常見さんは「我々大人がしっかり受け止める余裕を持つべきなのでは」と言っていたけど、SNS時代で状況が変わったことを考えると難しいなと思う。(ネットで簡単にある程度詳しくなれる、誰でも手軽に発信できて目にする可能性が高くなるとか)

ちょっと話がそれるけど、少し前にこんなツイート(下記)がバズっていて「歴史を正しく学び、ハイコンテクストな作品を理解できる俺こそ正義!」みたいな老人がはびこるインターネッツは本気でやだなーと思いました。もし実際そうなったら「ところ構わず議論を吹っかける老人からはパソコンを取り上げてもよい」という法律を作って取り締まるべきだと思います。

"ネットバトルがメジャーになり、「定年後はインターネットで見ず知らずの人達と論争するのが日々の楽しみですね。議論に負けたくないから勉強も捗りますし、いけ好かないやつに出くわすとナニクソという気持ちでいっぱいで、ボケてるヒマなんて無いですよハッハ」みたいな老人が大量に出現する近未来"@denjirouhttps://twitter.com/denzirou2/status/261797212659544065

「SNS時代の中二病考」みたいな事は全然考えたことなかったので、目からウロコだったし、著名人にブロックされる前に先にブロックしている中二の話とか、「中二病を理解している俺ってすごいという中二病」って風に果てしなくメタ視点になるという話も面白かった。
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