鈴木謙介「ウェブ社会のゆくえ」読書会(補講)、感想の続き。
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読書会で継承の話をする前に、「誰も戦争を教えてくれなかった」を読むべきだろうなあ
昨日の議論では、第二次世界大戦の戦勝国であり、現在進行形で戦争をしている国でもあるアメリカの戦争博物館は日本のそれとは違い、戦争の悲惨さを訴えるのではなく、「我々は試練を乗り越え成長した」というポジティブなものになっている。とか、写真やデータや資料は豊富ながらも、単に展示するだけで来場者に負担をしいる(集中力や真面目さや読解・共感能力)日本で多く見られる戦争博物館の展示方法では継承の手段としては弱いのでは。という話になり、現代アートや物語りの話へ。
読書会の参加者から「物語り(過去物語語り)での継承では、なぜ戦争が起こったのかといったことや、復興の過程でどういう問題が生じて対応はどうしたか。といった具体的な情報が欠落するのでは」という疑問が出された。その通りではあるが、これまでは継承の方法としてそのような「情報を残す」ことを重視しすぎた結果、真面目で正しく面白味のない、またネガティブな面を強調し過ぎてしまう形になり、結果忘却が進んでしまった。という反省から、「物語り」的な手法が注目されているのではないかと応答した。「ウェブ社会のゆくえ」でも、研究所や専門家、博物館には研究成果や資料が蓄積されているものの、一般においては記憶の風化が進んでいるという話が紹介されている。資料やデータによる継承と物語りによる継承は二項対立ではなく、過去の反省から最近は後者が重視されているという話かなと
過去は語ることで作られる。という話は、佐々木敦さんの「未知との遭遇」で取り上げられていた。Charlieが「ウェブ社会の思想」で多くのページを割いて説明していた、ヒミズについてや運命論や宿命についても書かれている本なので、読み返してみようと思う。Charlieと佐々木さんでは宿命にたいする考え方はだいぶ違う気もするけど。
で話を戻すと、「人間のもっと軽薄な部分や欲望の部分にアプローチすべき」みたいなことを考えた記憶の継承を提示しているのがゲンロンの「福島第一原発観光地化計画」で、「人間っていうのはどうしようもなく不完全で、バカでダメなやつなんだよ」という東さんらしい考え方だと思う。僕としては全くその通りだと思うけれど、「真剣と深刻の区別がつかない」でおなじみの日本人のダメさや、ゲンロン通信の東×宮台対談にあった「シリアスと娯楽をはっきり分ける傾向」にどう抵抗するか、あるいは懐柔するのかみたいな問題は結構デカいですよね。この対談の中で、緩い共感やメンバーシップから生まれる公共性ではなく、「あいつらは俺たちとは違う」という放置、切断のコミュニケーションが必要なのではないかと言っているのは面白いなと思いました。
日本人共感スキル高すぎてダメ。というのは、かんくら読書会でちょっと噛み合わない感じのあった「日本人の特殊性」についての高原さんとCharlieのやり取りでもあったし、千葉さんの新著のテーマが切断で、関係あるなと感じた。
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