この書き出しで始まる文書、オチがとても面白かったのでシェア。
類は友を呼ぶという言葉があるように、自分の周りにいる人は自分と似ている人が多くなります。何か困った事があって相談しても、スキルや経験考え方が似ているので強い繋がりは意外と役に立たず、知り合いの知り合いくらいの関係の人に相談すると5秒で解決したりするというのが「弱い紐帯の強み」という話ですよね。
これは直感に反していているけどよく考えれば全くその通りで、しかも煩わしい人間関係を避けられそうな感じもするしでウケがいいのか最近は色々なところで話題に上ります。
類は友を呼ぶという言葉があるように、自分の周りにいる人は自分と似ている人が多くなります。何か困った事があって相談しても、スキルや経験考え方が似ているので強い繋がりは意外と役に立たず、知り合いの知り合いくらいの関係の人に相談すると5秒で解決したりするというのが「弱い紐帯の強み」という話ですよね。
これは直感に反していているけどよく考えれば全くその通りで、しかも煩わしい人間関係を避けられそうな感じもするしでウケがいいのか最近は色々なところで話題に上ります。
しかし話を聞く度に思うのは、「強い」「弱い」というのはバックグラウンドの同質性の話であって関係性が弱くてもよいという意味ではないという点が誤解されがちなのではないかということです。つまり、行きつけのbarの常連仲間や趣味の集まりでできた友人といったゆるやかな繋がりかつ「会社倒産しちゃって仕事探してるんだよね」と言えば助けてくれるくらいの信頼関係がなければただの「弱い紐帯」であって、強みは発揮されないんですよね。
その辺を間違えると、SNSや異業種交流会で出会ってつながった気でいても本当のピンチの時は誰も助けてくれず。。。ということになりがちです。
でやっと冒頭のLinkの話になるんですけど、この話は「スーファミを持っている」というだけの弱い繋がりが、「生きるか死ぬかレベルの火事で迷わずスーファミを持ち出した」という伝説級のエピソードによってドライブされて「弱い紐帯の強み」たりうる強度を持つという内容です。
これなら関係性をがんばって強化しなくてもいけるのでは!と一瞬思いましたが、しばらく考えてみると、これって「情動に訴えかけるなにか」みたいな話で一歩間違えると炎上とかポエム化キャッチコピーと変わらないんですよね。
。。。ダメじゃん