2013/02/10

【読書メモ】PLANETS 8『食べログ』の研究 -外食文化とコミュニケーション

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この記事は、PLANETS 8に掲載された「『食べログ』の研究」の読書メモです。




ネットがblog→twitterとライトな方向に流れているように、食に対する考えもデフレ以前以後で変わってきている。それを分かりやすく示すのが、美味しんぼ/孤独のグルメという、料理漫画の違いである。食べ物にまつわる蘊蓄を饒舌に語る山岡士郎と、「俺はまるで人間火力発電所だ」という全く意味不明なコメントをする井之頭五郎。ここから見て取れるのは、言わば「意味」から「実況」への変化とでもいうべきものである。

食べログはレビューの際に最低300字という条件を設けており、140字以内という制限を設けるtwitterとは真逆である。そこには食に対する食べログの意図が明確に表れている。事実レストランに足を運び熱心にレビューを書くのは40代以上を中心とするデフレ以前の世代であり、20代、30代の若者は店を探すのに利用するだけでほとんどレビューは書かない。そこには「レビュアー会員/その他のユーザー」という二重構造が生じている。

コストパフォーマンス重視で言わば「動物的」な若者の傾向を苦々しく思っているレビュアー会員もいるものの、レビュアー会員が見つけた隠れた名店をライトユーザーが広めて人気店が生まれる例は多く、食べログのアーキテクチャは意外とうまく機能しているようだ。
2人のレビュアー会員と1人のゲスト会員のインタビューが素晴らしく、登録無しで近くのお店を探すライトユーザーの私でも「食べログ」がどういうもなのか理解する事ができた。

食べ歩きが好きな人や、文化史に興味のある人、食べログがどんなものか興味があるという人には、一読をお勧めしたい。
出会い系としての食べログにも触れられているので、若い女の子と出会いたい食通のおじさんにも強くおすすめする。
この「『食べログ』の研究」を読むためだけにPLANETS 8を買っても損はないと断言できる、充実のレポードである。


おまけ

先日の関西クラスタの読書会で、「五郎さんはなぜ孤独なのか」という面白い話を聞いた。
"孤独のグルメの五郎さんがなぜ孤独なのかというと、下戸で酒が飲めないために、食のコミュニケーションに参入する事ができないからである。しかし最近は酒が飲めなくても許されるので、昔とはすこし事情が違ってきている。
食べログがレビューによるレストランの試食を可能にすることで「いい店を知ってるやつが偉い」というルールを変えたことは外食文化に大きな影響を与えた事は間違いない。同時に食におけるお酒に対する考えや,役割の変化も外食文化を考える上で重要なのではないか。"

そういう話だと思って疑問に思った事はなかったので、「五郎さんはなぜ孤独なのか」という問い自体がとても新鮮だったけど、お酒好きとしては、「食とコミュニケーションと酒」というのはとても面白いと思いました。ただ、下戸であるために会社の飲み会でのコミュニケーションから疎外される事はあったとしても、個人的な友好関係でそこまでのことはないのではないかと思いました。会社での関係が大きなウェイトを占めていた、少し前の世代のコミュニケーション。という話であれば、その通りなのかもしれませんが。

スコッチウィスキーが好きなのでBarに通っていますが、下戸でロングカクテルを1,2杯しか飲まないお客さんもいますし、全くお酒が飲めなくて紅茶やコーヒーしか飲まないお客さんもいます。Barというのは、あくまでお酒とバーテンダーが媒介する交流の場であって、お酒そのものよりもそこで発生するコミュニケーションの方が主だったりします(オーセンティックなBarはお酒が主で、お客同士のコミュニケーションはあまりありませんが)。そしてお酒が主だとしても、居酒屋のような飲み方をする人はおらず、居心地のいいものです。お酒が苦手な人がBarに抱いている排他的なイメージは、現実とはすこし違っているかもしれません。
お酒を飲めない人も楽しめる食事の場や、コミュニケーションできる空間設計という話はとても興味がありますが、ともすれば「会社のタバコ部屋で全てが決まるのはけしからん」というふうな議論になりがちで、その点には疑問を覚えます。

ルサンチマンからはじまる連帯では、広がりが生まれないように思うのです。


1 コメント:

  1. 『孤独のグルメ』は書かれたのが古いですから。今ほど、酒の場で「飲まなくてもいい」が普通ではなかった時代の本です。あと、個人的にゴローちゃんは、単に疎外されているだけというものでもないと思います。あんなに楽しそうですから。「疎外」という言葉を外から見て当てた時に、こっちが勝手に見えてしまうだけの話かもしれません。

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