2012/10/31

Life感想戦「うれしはずかし文化的初体験」その3(2012/10)

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【歴史の重みがありすぎて、一歩を踏み出すことができない話】

黒幕の「SNSの普及で古参に絡まれるリスクが高まり、萎縮して発言を控えるようになってしまう」という話があった。
前のエントリーでいかに古参がウザいかという事を長々と書いたので、ここではまた別の話。
ほとんどの文化系の人は「知識が豊富であること」を偉いと思っているし、そういう人が尊敬の対象になる。(何も間違っていないけど)
なのでとても礼儀正しく紳士的な古参の人を相手にしたときも、肩身の狭さというか、下手なこと言いたくないから黙っとこうみたいな事になりがち。
ものすごい知識を蓄えたいわゆる古参と新参者がいるのは今も昔も変わらないんだけど、昔は情報を手に入れることが難しかったから、高い壁があることを認識しながらもとりあえず目の前のアルバム一枚、本一冊から始めることができた。でもインターネットの発展によって「目の前の巨人に追いつくための、押さえるべきとんでもなく長い作品リスト」が可視化されてしまい、一歩目を踏み出す前にあきらめてしまう。あるいは何から手をつけていいかわからず足がすくむという。

このあたりの話は今回ゲストに登場した佐々木敦さんの「未知との遭遇」で詳しく書かれているので、好きなジャンルを極めようとした時のあの無力感に覚えのある人は読んでみるといいと思う。(女子を食事に誘うかどうか迷ってる人にもおすすめ。イブイブに食事にいけるかも知れません)

ちなみに「未知との遭遇」には、僕が高校の時に試験問題で読んで衝撃を受けた「酋長の祈り」の話も収録されています。
すでに結果が確定しているはずの過去の出来事に対して祈りをささげる事は合理的かという問いですね。

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