2012/07/11

考え方は人それぞれという欺瞞について - 空気を読む と KY -

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「人それぞれいろんな考え方があるから」というのを最近よく聞きます。
殺伐としたtwitterの様子を見ていると、自分の考えを絶対視して意見の違う人を攻撃するよりはよほどいいと思います。
一方で毎回相対化しておしまいだと、相手の立場を尊重しての意見から一挙に判断を保留するだけの事なかれ主義的な態度に転落してしまいます。(いろんな意見があるよね。いいと思うよ。みたいな・・・)
確かに人それぞれ立場が違うし、大切に感じる事は違うのは確かですが、いつもそれでは何も物事が進みません。
自分が悪者になりたくなくて、あるいは人間関係に波を立てたくなくて、物わかりのよい風を装っているだけなんじゃないのかと。
いろんな意見があると一度相対化した上で、あえて自分の立場を選びとって語る必要があるんじゃないか。例え意見を対立させる事になったとしても、その先に得る物があるんじゃないかと思うのです。いいね!いいね!って言って終わる人間関係に果たして価値があるのか、そんなに対立するのが怖いのか。

というような事を考えていた時に、哲学者の國分功一郎さんのtwitterまとめを目にしました。トークイベントで意見の相違から議論になったのを見て、喧嘩別れした!と書かれた事を取り上げて空気について語っています。空気を読むと水を差すの関係について、空気を読むとKYの違いについての考察は目から鱗でした。

togetter/國分功一郎さん、腹を割れないこと、空気について

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