2012/12/27

【書評】桐島、部活やめるってよ

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桐島、部活やめるってよ
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【目次】
菊池宏樹
小泉風助
沢島亜矢
前田涼也
宮部実果
菊池宏樹

東原かすみ〜14歳
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この小説のテーマは、「スクールカーストの相対化」である。

カーストの最上位に位置するはずの菊池宏樹が、自分や友人や彼女が「からっぽ」であることを悟り、桐島がいなくなっても何も変わらず映画を撮り続ける前田だけが「ひかり」を持っていることに気づく。そのことに気がついた瞬間、かわいそうで「話しかけてあげる」存在でしかなかった前田がまぶしく直視できない存在に変わる。
宏樹が震えながら勇気を出してたった一言、「これたぶん、落としとるよ」と声をかけてその場を後にする描写は、「スクールカーストは学校でのみ成立する一時的なものである」という、大人であれば誰でも知っている事実を鮮やかに見せつけている。

宏樹は映画に対する情熱にではなく、"何を価値とするかは自分で決める"という自立した態度の中に「ひかり」をみたのではないだろうか。

この結末は、スクールカーストに悩む中高生にとっての希望となるだろう。


「宮部実果」の章は、若干狙い過ぎでは?と思うものの完成度が高く、読んでいて一番面白かった(そして泣いた)
完璧に見える彼(彼女)らも所詮は高校生であり、様々な悩みや葛藤を抱えていると教えてくれる。

最終章の「東原かすみ〜14歳」は文庫化にあたり追加されたものである。
彼女の中学校時代の人間模様が描かれている。スクールカーストに起因する女子のいじめの典型のような話で読んでいて気分が悪くなるが、最後は希望を与える内容で終わっている。
中学時代に前田と付き合うキッカケとなったと思われる決意が描かれており、「前田涼也」の章での購買部で映画部をかばう発言に繋がっている。本編で大きく取り上げられてはいないが、彼女もまた前田と同じ「ひかり」を持った人物なのである。



-----スクールカーストとは
【スクールカースト(Wikipediaより)】
現代の日本の学校空間において生徒の間に自然発生する人気の度合いを表す序列を、インドなどのカースト制度になぞらえた表現。
恋愛・性愛経験  :豊富なほど上位
容姿       :恵まれているほど上位
ファッションセンス:優れているほど上位
場の空気     :読めたり支配できるほど上位
部活       :運動系は上位、文化系は下位
趣味・文化圏   :ヤンキー・ギャル系は上位、オタク系は下位

アメリカでは特に顕著で、アメフト部の男子とチアリーダーの女子を頂点とするピラミッドというのは映画やドラマでも定番です。
アメリカのホラー映画で金髪美人のチアリーダーが真っ先に殺されるのは、オタクとしてハイスクール時代を過ごした映画監督のルサンチマン故という話は有名ですね。大体すごい頭悪い設定だし。

日本のスクールカーストはそれと比べればかわいいものですが、思春期の多感な時期に、逃げ場のない閉鎖空間で、多様性に欠ける基準によって評価をされる事による自尊心の低下は問題です。
特に「自分には無理だ」とか「自分はこの程度の人間だ」という思いこみを持ってしまうのは、才能を潰してしまうことになりかねません。
また、高校時代の苦い経験から、社交的な人、体育会出身者にコンプレックスを抱いたり、逃げ場としてサブカル趣味にどっぷりはまって人生を踏み外すといった事例が多数報告されています。

いじめの原因とも言われていますが、教室の秩序を維持するために黙認する先生もいるとかいないとか。

スクールカーストの中でのポジション争いの様子や、階級で相手を判断する態度は作中でも随所に見られます。



-----メモ
中学高校のうちはDQN、運動部がモテるのは、女の子が未熟だからというよりも、
付き合ってる男で評価が決まるソシャゲに強制参加させられるからなのでは?と思います。
就職するまでは職業や年収といった強力なパラメータが封印されているので、
パワータイプが人気みたいな事なのではないでしょうか。

上記の書評の通り、桐島をスクールカーストに悩む中高生にそれを相対化する視点を与える小説として読みました。
なので「俺のスクールカースト論を語る口実」と言わんばかりにこの作品について話している人が多いのを不思議に思います。
charlieが「映画版は30,40代向けにファインチューンされている」と言っていましたが、よほど自分語りを誘発する内容になっているのでしょうか。(映画は観てない)
そうでないのなら、Radwinpsやいきものがたりに共感する世代向けの小説を読んで、30歳以上の人が感情移入できるはずはないと思うので、見たいものを見てるのではないかという気がします。
小説の内容なんてどうでもよくって、スクールカースト話をするコミュニケーションツールとしての価値があればいいというのだとしたらちょっと残念な気も。
それから、今の中高生が直面しているスクールカーストと、大人が昔感じていたスクールカーストは同じなのかというのも気になりますね。
キャラ設定とか、空気を読むとか昔はなかった訳で、同じ言葉で違うものについて語っている可能性は大いにある。

自分が高校生の頃は、多少グループ分けはされていたものの結構仲良くやっていたので、正直スクールカーストってピンとこない。

gleeみたいなアメリカ学園ものの、ダサい部活やってるだけでジュースかけられても仕方ない。みたいなノリは、コメディのベタな設定としてやっているのか、実際あんな感じなのか気になります。
知ってる人がいたらぜひ教えてください。
実際あんな感じだったら相当ヤバいと思いますが。




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