2012/12/21

2012年「文化系トークラジオLife」サマリー

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2012/12/22 Sat 阿佐ヶ谷市庭スタジオで開催のLifeオフ会・忘年会の前に聴き直した分の自分サマリーを公開。
イチオシは「ソーシャル時代の世間考」かな。「楽しくやろうと言うけれど」の山内先生の教育の話も面白かった。
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2012/01「何のためのアーカイブ?」

好きだった格闘技がなくなってしまった話。
スポンサーが離れ、PPVで生き残ったものの、ファンがお金を払わなかったせいでなくなったという苦い経験。

2012/02「好き好き大嫌い〜アメリカ西海岸」

ジョギング、マクロビ、ダイエットといった、今当たり前だと思っているものの中に西海岸由来のものが多い。
もともとはヒッピー文化であり、リラベルな思想やドラッグと不可分なものだが、文脈はきれいに漂白されて消費されている。

パソコンはヒッピー文化が唯一成功した革命

2012/03「理想の職場」

企業の立ち上げ時には、プロジェクト型のチームでは難しい。コンサル的に関わるのではダメで、フルコミットする覚悟が必要。仕事のアウトソーシングはできても、魂のアウトソーシングはできない。

女性をたくさん呼んだのは、日本の男性は働きすぎだと思ったから。女性の労働参加は大切だけど、その前に男性の働く量を減らすってことを考えるのが大事なんじゃないか。前提となる労働観がおかしい気がする

予告編で「働く女性を支えるフリーランスの旦那は理想」みたいな発言があったけど、フリーランスの自分はモテないんだけどホントなの?不景気の中で育ち子育てにお金がかかると刷り込まれた我々は、パートナーに安定した収入を求めてしまうのかも

理想ややりがいを仕事に求める人を否定はしないが、「生活するためのお金を稼ぐために淡々と仕事する」という権利も認めて欲しい。


2012/04「動員とマネタイズ」

「速水チキ速水チキ」でやれてた頃はよかった。

クラウドファンディング的な「ファンから少しずつお金を集める方法」にフォーカスしすぎ。
お金を持っている人にアプローチする方向を探るべき。
番組をもっと分かりやすくしたり、お金を動かす裁量を持っている広告マンにしゃべらせるとか、妥協がいるかもしれないけど。

メルマガについて
いまさらメルマガ?
ホリエモンが切り開いたメルマガの可能性
有名人が知名度を換金するための回路として優秀という話であって、ゼロからメルマガ始めてもつらい
定期購読というのが重要。ダラダラ惰性で購読してもらえる。iPhoneAppだと、「更新しますか?」と聞かれるので解約率が上がる
だいたいのメルマガはホリエモンに合わせて840円。生存戦略としての630円という価格設定。
週にペットボトル1本分で読める!(150円)と言いたかったのもある。
3種類の購読者。1.情報が欲しい人 2.政治メディアに期待して支援したい人 3.津田ギャル

Twitterと動員。
フォロワー数=お金を払ってくれる熱心なファンというわけではない。
イベントの告知をしても、お客さんぜんぜん来ないときあるし


2012/05「東京論2012」

電鉄系資本のマーケティングと広告で作られたスカイツリーや渋谷と、有機的に作られ変化し続ける秋葉原や大久保。都市開発における若者置いてけぼり感と、ダサいネーミングは繋がっている。文化の発信地としての力が弱まった2012年の東京らしさとは

台湾や韓国の人から見た東京の魅力はロックバンド。お金にならないはずのロックバンドがビジネスとして成立している環境こそが多様性の証。両国のロックバンドが、東京をテーマにした曲を歌っていることからもそのことが見て取れる

人が多いために街ごとのカラーが生まれ、そこでのマッチングが成立した。しかしチェーン店が増え、各地のショッピングモールができて街が均質化する中で、街から人への流れが強まっている。それでも東京が魅力を維持し続ける方法があるとすれば、秋葉原のように核となる文化を残しながら変化し続けることなのではないか


2012/06「ソーシャル時代の“世間”考」

ソーシャルメディア時代の恋愛
履歴が残るから、うかつに付き合えない
ソーシャルバレを警戒して、おはようツイートの時間をずらしたり、遊びに行ったときの写真を投稿しない。まるで芸能人
さっしー過去の恋愛問題で、オタクの集合地が大活躍。週刊誌のカラー写真とブログを突き合わせ、1時間で照合完了
外から見てるとほんとゴミみたいだけど、中にいると世間は楽しい
遊びに行った写真を投稿すると、誘ってない友達にばれて気まずい
ソーシャル先輩が必要なのではないか
津田さんは恋愛に関してはソーシャル先輩ではないが、津田妻はソーシャル先輩な感じ。

ウジウジすんな!SNSに投稿できないのはそんなに問題か?
別にツイッターやFacebookで愚痴らなくてもいいんじゃないの?
友達に話したりチラシの裏に書いたりすればいいのに、SNSに投稿するってことは誰かに読んで欲しいってことなんじゃないの?

悪い意味でしか「世間」って使わない

流動性の低いコミュニティに世間圧力が生じるはずなのに、なぜか流動性の高いネット時代にも世間が生まれる不思議
2chなどの匿名ネットコミュニティの、謎の「正しくないとだめって空気」

法律は最低限のルール。「法律を破ってるわけじゃないからいいでしょ」というのは知性に欠ける態度

日本には世間はあっても社会がない」的な知識人の言説は本当か
ただの西洋コンプレックスじゃないか
憧れのフランスだって「強い個人」など確立されていないが、そうあるべきだよねという考えが共有される程度には思想が役立っている気がする
西洋には、もともと子供という概念はなかった。不完全な大人という認識だったので、体罰とか当たり前。「子供というのはひとつの人格であり、尊重すべき」という主張が驚きをもって迎えられる。むしろ江戸時代の日本の方が子供に優しかった。
世間はなく、社会が成立している(ように見える)フランスも「強い個人でなければならない」という圧力に苦しんでいるのではないか?
フランスは日本的オタクカルチャーが世界でもっとも受け入れられている国。その一因として「大人になってもマンガとか読んでてもいいんだ!」という抑圧からの開放が嬉しいというのがあるのでは。
本来空気と水はセット。いまは空気だけしかない。
「あいつKYだよね。空気読めないやつだから仕方がないか」というキャラ付けで救われている人もいる。

苦労の共同体は本当に最低。仕事なんてアウトプットの質がすべて。楽しくできるならそのほうがいいに決まっている。


2012/07「動員と革命〜10万人で何をしようか」

デモなんて団子食べてダラダラ歩いてればいい。詳しい知識は必須ではない。
今はルールに従ってあげてるけど、そのままだったらこれだけの人が暴れるけどいいの?というプレッシャーをかけるのがデモ。

サウンドデモ
シュプレヒコールにみる、盆踊り的リズム感(日本人の魂?)

311以降の変化
以前はデモはプロ市民のもの。近寄りがたい。右翼。というイメージだったが、首相官邸前デモなどを見ると参加者層が変化している。

首相官邸前デモ
ワンイシュー(フジテレビデモとの違い)
ソーシャルメディアによる動員
毎週定期的にやっていることの意味は大きい
警察発表で1万人を超えたことのニュースバリュー

動員の革命出版の半年後に首相官邸前デモとか起きて結構すごいと思うんだけど、誰もほめてくれない。
というか、動員はできても革命は起きないじゃないかとか責められる・・・


2012/08「"楽しくやろう"というけれど...」

part3
仕事の範囲を広げて自分の仕事を作る事が、楽しむには必要。
それができない仕事もある(派遣とかだと、書類作成とかの単純作業がほとんどで、100%できて当たり前という世界。)

part4
セルフエスティームが低いが、無意識のセルフエスティームが高い人がいる。謙遜と抑圧。
両親との関係、相談を個人的にできる友人がいる人はセルフエスティームが高い
互恵的利他主義、5人10人の親しい人間関係で高め合う環境が重要

基礎レベルを身につけさせる、問題解けた!みたいな成功体験を与える所まではゲーミフィケーションでいけるが、深いレベルになると別の動機付けがどうしても必要になる。プロジェクト学習は有効だが、やらされてると感じさせないような工夫がいる

辛い経験も身になったろ!的な考えとの線引きは?

学習は自主的なものだが、教育は基本的に押し付けである。なので教育の歴史は動機付けの歴史とも言える。

part5
派遣労働者や中小企業で働く人など、本来安定を求めるべき人が、ワンチャンスにかけるような即座に成果を上げる取り組みを求められる一方で、大企業に務めている人は時間的猶予が与えられるようなねじれた状態。

日本で勉強できる人というと、決められた課題を無難にこなしてきた人になる。
この評価基準を変えていくための教育にできることって話が重要なのでは?

教育プロセスの電子化(教材の電子化ではない)

反転授業の例
カーンアカデミーの事例
技術で置き換えて、先生の負荷を減らす
前提から考え直す事が必須
リソースをシフトするという考え

ゲーミフィケーションは条件設定に過ぎず、本質ではない。
せいぜい「承認欲求」とか「ポイントシステム」とか、人間の動物的な部分を押さえておいたほうが組織運営はうまくいく。という程度の話。
そこを見誤ると、偽物のやりがいを与えて搾取するという話になってしまう。

part6
モチベーション、教育の話は、当然ながら何かしらの組織に所属していることが前提になる。
組織に所属できない人をどうすくい上げるかという観点も重要なのでは。

誰かに楽しまされる必要はない
自分を変えることができると思うか、思わないかによって成長度合いが違ってくる
自分の能力は変えられない、成長できないというのは研究成果から見ても誤りであるので、そこの認識を変えるところから始める。

あえて楽しんで仕事をする。
楽しむことをサボらない
行こうぜ!満員電車の向こうへ!

ソーシャルメディアは承認を与えるけど、自信を与えはしない

外伝1
メロン先生の教育論
東大院生は魔神
適切な課題設定
自己紹介ができずに泣く小学生の話

バズワードするコミュニケーション。その定義は?他の言葉で言い換えられない?

先生向けの研修で、質問しない先生。グループワークだとしゃべる

外伝2
楽しく子育て問題
楽しいと言わなければならない圧力

女子の、何か一つでも欠けてるとダメなんじゃないかと思っちゃう感じ。特に雑誌の煽りがひどい。
VERYはもともとDINKSのイケてる奥さんのための雑誌だったが、子供を産む人が増えたので、ママ雑誌に方向転換した。
ダンナ、子供、ファッションさらに社会貢献まで。全部入りの女性像(パーフェクトマザー症候群)


雑誌のSEX特集が煽る問題
ananがそろそろ更年期特集をはじめる?
婦人公論、人生の断捨離夫を捨てろ!

ソーシャルメディアが期待値を上げるだけあげるので、人と比較してしまって楽しめない

「私の年収低すぎ!?」型のコミュニケーションが全ての元凶。ソーシャルメディアや雑誌、友人なんかの情報が期待値を上げる問題

感想戦の輪を広げよう


2012/09「アンチエイジング社会のゆくえ」

波平さんは50代、フネさんは美魔女
BBAを笑う者はBBAに泣く
40過ぎて美逆転する可能性
美ストは磨いてる私、頑張ってる私
ニキータがコケたのは、ファッションにフォーカスした上に男目線しかなかったから

sweetの一生28歳宣言
美容室でどの雑誌を渡すのか問題
女子限定タレント平子りさ
木村拓哉問題。キラキラした憧れの若者像だったが、いつからかズレが
若さとは年齢相応の格好をすること。いかに人に違和感を与えないか
アンチエイジングにはコントロールする楽しみがある
セルフイメージと肉体の差が埋まらない事への恐怖がアンチエイジングに駆り立てる

意思決定のスピードが上がると経営する人と職人がいれば十分になり、構造的無能に陥る管理職が産まれる。
ポストが上がらないと給料が上がらない仕組みは変えないとまずい
後輩がいないのでOJTでマネジメントスキルを身につける機会の無いまま管理職になって苦しむ
魅惑のダーティサーティは、アメリカ帰りなんだそのヒゲ。ヤンエグ
島耕作社長編は、濡れ場のない怒り

加齢と文章
作家は加齢よる差が出づらい
自分の期待される役割の範囲からいつの間にか出られなくなっている書き手は危ない
アイドルと受皿。アイドル寿命の長期化。社会の成熟?大人の子供化?
プロレスの若手にチャンスを与える仕組み

アンチエイジングと言えるのはまだ若いから。老いというのは唯物的なもの
地方では老人としての役割が与えられて社会にコミットする機会が与えられるが、都会ではそういう事は少ないので、消費やツーリズムといった形でアンチエイジングにこだわるのかもしれない
消費社会を維持しようと思うと、いつまでも現役で消費し続けてもらわないといけない。他方自然と共生し家族との関わりの中で歳を取っていく農村的共同体は、食べさせられる数が少ない。
若くいたい?若くいなければならない?

若者に見る、どうせ死ぬしって感じ
平均余命が伸びた事とアンチエイジングの関係
波平さん世代の老後は5年くらいだったのが、30年に伸びた
子供できると人って変わるよね。圧力は受け取る必要ないんじゃね?パパって、ママってこうだよねは弱まるんじゃ
昔ある時期に成立した役割、当然とされていた考え方は無くなる、自分がそう思っててもいいけど、少なくとも隣の人に期待できなくなる。
文字通り食わせる事。食べるもののエイジング。働いて稼ぐだけで無く、作って食べさせるというのも大事なのでは。

話が派生するのはいいですね
オタクは新しい形の大人?受け手は何も考えないが、作り手は大人になれ!というメッセージを発信している
全てが現在に所属する不思議な感覚(アニメや音楽)
受け手と送り手の年齢ギャップ問題
30代に向けてファインチューンされる感(桐島部活やめるってよ問題)

真のアンチエイジング社会は年齢による差別がない社会なのでは
新人賞問題
定年後の作者の小説のレベルの低さ。島耕作か親娘がほとんど
みんなが送り手になりたがる人が増える
教えるための何かを教える教室が儲かる
規範がゆるくなると、全てを自分で決める必要がでてくる。30だから結婚しよう。ではなく、結婚すると自分が決めたから結婚する。となる。でもそれを選び取る事のできる強い人はそういない
社会的自己と自然的自己の葛藤がアンチエイジング問題に表れるのでは。


2012/09「Life×フットボールサミット〜日韓戦とナショナリズム」(特別編)



2012/10「うれしはずかし文化的初体験」

レジーさんのブログ。http://regista13.blog.fc2.com/blog-entry-37.html


司会者「総じてこの世代でいわゆる「若手論壇」と言われるところに行ってる人たちって、昔からアニメとかそっちの文化に傾倒してた人の方が多い気が」
レジー「印象としてはそんな気がしますね。で、この偏りって、日本のポップカルチャーの変遷をたどるうえでかなりのバイアスになってると思うんですよ。ここで言ってもどこまで届くかわかりませんがどうしても言いたいことは、90年代半ばの中学生全員がエヴァを見てたわけじゃないし、「ドラゴンボール」とかそういう知名度ではないアニメに触れてる人は決して主流派ではなかったということです」


1980年生まれあたりの文化的初体験は音楽の比重が大きかったはず。
当時アニメはオタクのイケてない趣味であり、今みたいに許容されてはいなかった。
Lifeクルーの文化的偏りのせいで、語られるべきところが語られていない感じ。

ムーの読者投稿欄で友達がいない人を募集。オカルト関係ない。
植物と話せるのか!俺は人間ともしゃべれないのにマジすげー!負けたくないから森と話せることにしとけ!
オウムからの勧誘もきた

ひとり映画をはじめ、「ひとりでいった○○」は世代を超えた文化的初体験。大人の階段を上る的な。

動物的な消費ではダメなのか?キャラ萌えマジ最高!
みんなで「バルス!」って言って楽しい。というのでもいいんじゃないか。

島宇宙化した現在では、自分の狭い好みの中での消費で終わってしまいがち。
雑誌に余裕がなくなって「雑」の部分が減り、逆に個人が雑誌化している。
ジャンルを横断する、島宇宙をブリッジするような個人(東浩紀とか)
ツイッターは仕組み上どうしても誤配を含むので、島宇宙をブリッジする可能性を持っている
好きなミュージシャンをフォローしたら、子育て奮闘中で待機児童問題についてずっとツイートしている。
好きな小説化をフォローしたら、ゲームの話もしているのでそちらにも興味を持った
多様な人がそれぞれの立場で語るLifeは文化の入り口として最適なのでは
Lifeきっかけで東浩紀を読んだり、興味のなかったアニメや映画を見たりといった広がり
島宇宙は本来孤立していて交わることはないが、内輪での盛り上がりが閾値を超えるとその範囲の外に広がって、他の島宇宙とぶつかって交流が生まれる。そこに可能性と希望がある
AKBとかそんな感じか。

女性はアイドルを見るときも関係性を重視している(ももクロも結局は関係性消費(男性))
一見すると男性オタもついに関係性に萌えるように!みたいなのは間違っている気がする。単に自分の好きな「○○ちゃん」の萌え属性を補強するような情報を、関係性の中から探そうと必死になっているだけ。関係性から読み取れる情報に注目しているだけであって、関係性そのものを欲している訳ではない。(妹キャラなので、先輩に甘えている。ドSなのでだれかれ構わず無茶振りして喜んでいる)


2012/11「"わくわくできる未来"を求めて」

未来の教育
教科書のインプットを技術が置き換え可能にしたとき、わくわくする教育の未来があるのでは

お化粧の進化

建築の未来
3Dプリンターで今まで作れなかったような模型が製作可能に!
からの、曲面を多用した建築ブーム。
いまいち面白みを感じない。10年後に振り返って「一時そういうのがはやった時期があったよね」で終わりそうな気が。
プレステ初期を振り返って、当時は猫も杓子もポリゴンだったよねwみたいなこと?

メタボリズムの敗北。
モジュール化して入れ替え可能にしたのに、コストの関係で「取り壊し→建て直し」に。

不況によって若手建築家にチャンスが回ってこない
昔は中小ディベロッパーが若手建築家を登用しておもしろい建築を建てよう。と言う流れがあったが、最近は余裕がないので大手ディベロッパー×大手建築事務所で面白みがない。
コンペを突破するために、ウケのいい無難な「コミュニケーション」「場作り」「ふれあい」とかを入れざるを得ない。という大人の事情

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