2012/12/09

【読書メモ】郵便的不安たち/東浩紀

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1999年初版とはとても思えない内容。
一番印象的だったのは、自分の興味のある狭い分野のみを動物的に消費する読者に対する苛立ち。
そこで不満をぶちまけるだけでは終わらず、自ら知的交流の場を創り出している。誰もやらないなら自分でやる。という情熱を感じる。

135〜138の4ページはエヴァンゲリオンを説明としてとても優れているので、エヴァをまだ見た事がない人は読んでみるといいと思う。

以下読書メモ
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秋元康のドリキャスのCMインタビュー。
ひとつのマーケットには5万人しかおらず、幾つかの領域を将棋倒しにヒットを生み出すしかない。
5年後くらいに自分のテキストを介して、繋がるはずのなかった領域がつながればいい
/郵便的不安たちp41

中学三年の時、女の子に「アニメとか好きなのって、気持ち悪いよね」と言われてショックを受け、うる星やつらオタクの過去を押入の奥に封印した。
自分はなんていい加減なのか、また性的な問題というのはいかに大きい力を発揮する事か
/郵便的不安たちp166

突然アニオタをやめた事に対する内省と、松任谷由実とか聴いてた人生に対するマチガイ感からハイカルチャー化を計る。
新潮文庫の世界文学を片っ端から読むとか。
/郵便的不安たちp168

感想は作品一本みれば生まれるが、批評にはジャンルの意識がなければならない。
制作者は単に楽しいアニメを作ろうと思ったのかもしれない。
しかし歴史の中でどのような意味を持つのかという読解は、作者の意図とは全く別のレベルにある。
/郵便的不安たちp172

アイデンティティ不安に陥った末にとった行動が、柄谷行人に会いに行き、世間話みたいな会話に満足できずにソルジェニーツィンの評論を書いて持っていく、っていうのはすごいな。
そして批評空間に掲載されるという
/郵便的不安たちp172

エヴァンゲリオンは全部入りのアニメ(美少女、巨大ロボット、謎解き、世界の終わり)他のアニメでこれら雑多な要素を並べることができなかったのは、お約束を区分していたため。
庵野秀明はそれを無視した。
例)ジャージで関西弁、サブキャラ風のトウジが重要人物
/郵便的不安たちp139

ポストモダン以前の「批評」は、各ジャンルを大きな物語(大文字の歴史)に接続するメタ言語あるいはメタジャンルとして機能していた。
しかしポストモダンにおいては大きな物語は成立せず、批評自体も小説と同じ「いちジャンル」として扱われる。
つまり批評の自律化がすすんだ。
/郵便的不安たちp211

過去に方言を喋っていた、というのも案外大きいかもしれない。
標準語を喋ってる自分が常に嘘くさく響いてしまう。(阿部)
これはとてもよくわかる
/郵便的不安たちp258

エヴァの作り手は、30分映像を見る続けさせるのがどれだけ大変なことか、よく分かっている。
他方、今の文学者は好意的な読者を前提にし過ぎている。
芥川賞を取っただけで社会的な事件のように取り上げるけど、経済効果たるやエヴァの数十分の一。
もっと深刻に考えた方がいい
/郵便的不安たちp262

アスカはエヴァ世界にとって唯一の異質な存在。
第3東京市の外部から到来し、ゲンドウ・ネルフファミリーに属するミサトやレイの対照として描かれる。
オタクウケのために設定されたアスカのキャラクターは、そもそもエヴァの雰囲気にそぐわない。
/郵便的不安たちp225

アスカは外部を象徴し、逆にレイはシンジ=庵野の分身にすぎない。
レイを選ぶことは想像力に補完されること、つまりオタク的自閉世界に止まることを意味する。
エヴァはどうやって外部に到達するかという物語であるわけで、庵野秀明の自己否定、オタク否定と深く連動している
/郵便的不安たちp225

アニメ評論家「東浩紀」としていくら評価されても、その他の仕事に対して全く興味を示さないことへの苛立ち。エヴァが、デリダが入っているからこの領域。とレッテル貼りをしてしまい、一向に外に出ようとしない人たちに読まれるのは不毛だと感じる/郵便的不安たちp229

人々はテクストの内容でなく、
エヴァが出てくるから簡単/デリダが出てくるから難しい。
ひらがなが多いから感覚的/漢字が多いから論理的。
と極めて大雑把なイメージで処理している。
そのような乱暴な決めつけを撹拌し、様々な種類のテクストを往復することを期待している
/郵便的不安たちp230





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