前提を疑え。お金ってそんなに必要だっけ?というのを改めて考えようのコーナーですね。
脱貨幣経済派のよくある主張は
・お金は「日本銀行券」という債券に過ぎないんです
・みんなが価値があると信じているから価値を持っているに過ぎません
・つまりお金なんて偽物なんです
・わざわざお金に交換なんてせずに直接物々交換をすればバラ色!
・脱貨幣経済めっちゃクール!エコ!ロハス!絆最高!
確かに「日本銀行券」に過ぎないからお金自体に価値はないと言うのはその通りだし、1/1000秒とかアホみたいな速度で売り買いをしている金融市場とか見てるとなんだかなあとは思います。多くの人がおかしいと思っているのに貨幣経済が世界を支配してるかというと、物々交換だと取引コストがかかり過ぎるからです。
米を作るAさんと、リンゴを作るBさんがいる場合、Aさんがリンゴを欲しがりBさんが米を欲しがらないと交換が成立しません。仮に全人口の50%がリンゴを、残りの50%が米を欲しがっているとしても、取引が成立する確率は25%に下がってしまいます。実際はもっと下がるでしょう。この問題は「欲望の二重の一致」と呼ばれ、貨幣経済以前に戻ることはありえないとされる大きな理由の一つです。もう一つ、交換の基準が決まっていないため毎回交渉する必要があり、手間がかかり過ぎるという問題もあります。この問題について考えずに「脱貨幣経済」を主張するのは、映画「三丁目の夕日」を観て昭和に憧れるくらい愚かだ。という訳ですね。
このような理由から、非現実的な話だよなと思っていた所にこんな記事を見つけました。
"200人規模のコミュニティ(この例では武道の道場)では割と頻繁に「欲望の二重の一致」が起こり、コミュニティを信頼し先にサービスを提供する事でその確率を上げていて、結構うまく回っている。"
ポイントはこんな感じ
・ある程度の人数と多様性の確保
・信頼できるコミュニティ
・メンバーに対して先にサービスを提供する
・必要になれば後からサービスを提供してもらえる
・コミュニティに貢献する事がベースなので、煩わしい交渉がない
非貨幣経済というと、バウチャー制度か物々交換だと思っていたので目から鱗でした。
仕事仲間や学生時代の友達ではなく、武道という趣味をテーマに人を集める事で多様性を担保し提供できるサービスのメニューを増やす。(もちろんこれは副産物的な成果なのでしょうが)コミュニティのメンバーを助けるといいう相互扶助的な考えをベースにする事で、多少損をしたとしても気にならず交渉のコストが下がる。信頼できる関係があるから、「欲望の二重の一致」を待たなくてもサービスを受ける事ができる。
信頼できる規模の大きいコミュニティをどうやって作るか?という点さえどうにかすれば理想的な非貨幣経済の形だと思いました。(ここが一番難しいと思うけど)
信頼できるコミュニティを地域社会が担う事は今更不可能なので、この記事の例のように趣味を同じくする集まりがキーになそうです。
コミュニティを作る・維持するという点では、リアルでできた関係をデジタルで深める、デジタルで作った仲間とリアルで会うといったように相互補完的に利用する事が重要です。(リアルとFacebookやTwitterのようなデジタルなものは対立軸で語られる事が多く辟易していますが・・・)
これまでは年に1回しか会わない人は存在しないのと同じでしたが、FacebookやTwitterを使えばたいした労力もなしに近況を知る事ができます。一年ぶりの友達と会った時に壮大な近況報告をする事なく、カットインで会話を始める事ができ、コミュニケーションが親密になります。またイベントで一度だけ会った人のように関係を深めるのが難しかった人とも緩やかに人となりを知りながら仲良くなる事が可能です。特に距離と時間をゼロにするというデジタルの特性を活用する事が重要です。
行きつけのBARは、多様性の確保は○、コミュニティの信頼度は○ですが、非貨幣経済的な交換の文化は△、場所と営業日の関係から規模は×、デジタルの活用は×といった所でしょうか。信頼できるコミュニティを作るのが一番難しい事を考えれば、そんなに悪くはなさそうです。
「自分でコミュニティを作る」や「複数のコミュニティに所属して、両方をつなげる」というのも面白そうですね。
100%非貨幣経済と言うのは無理かもしれませんが、一部だけなら市場から退出できる可能性はありそうだなと思いました。
※コミュニティに入れない人はどうするんだ問題についてはあえて触れておりません。
※市場からの撤収のブコメみたら、やはりこういう批判だらけだった・・・
※ひとつの可能性として考えてみてもいいんじゃないかなと思うけど。
※ひとつの可能性として考えてみてもいいんじゃないかなと思うけど。