2012/08/10

神は存在するか? Vocatus atque non vocatus, Deus aderit.

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Vocatus atque non vocatus, Deus aderit.
スイスにあるカール・ユングの家の入り口に記されている言葉だそうです。
意味は「祈りを捧げられようと捧げられなかろうと、神は存在する」です。

よく
・神を信じるか信じないか?
・スピリチュアルな世界を信じるか信じないか?
見たいな議論をすることがありますが、「信じる」という言葉が出ている時点でズレていると思うんです。
信じていようが信じていなかろうが(祈りを捧げられようと捧げられなかろうと)加護を与えてくれるはずだからです。

こういう考え方なので、組織宗教によくある「信じる者は救われる(そうでない者は地獄へ堕ちる)」という考え方が腑に落ちなくて、いつも疑問に思っています。
そんな心のせまい事言わないと思うんです。神様なんだし。
善人だろうが悪人だろうが、信じていようが信じてなかろうが、まとめて面倒見てやるよ。くらいの事は言うでしょう。神様なんだし。
政治的・組織的な理由があるので仕方なし。というのは分かるんですが。
神様の名を語りながら、恐怖を煽って人を支配するってのはどうなのよ?っていう。

神様がいない場合はどうすんだよ。というツッコミへの解答。
いなければ、もちろん祈りは空振りです。
それでも行動規範にはなると思うので、無意味ということはありません。
プラシーボ効果も薬の効果のうちです。

日本人は自分以外の何かを信じる事を極端に恐れていると思います。
オウム真理教事件を思い出せば、カルト宗教を警戒する気持ちは最もだと思います。
が、ちょっと身構えすぎだろうと。
海外の多くの国では特定の宗教を信じている事が普通だと言われますが(実際そうだと思いますが)戒律がこうだから!と厳密に信仰している人は少なく、多くの人にとっては
日本でいう道徳・行動規範のようなものです。
そうでなければ、婚前交渉を禁じているカトリック信者のイタリア男がああいう風になるはずはありませんよね。
神様が見てくれている(死んだ婆ちゃんでもいいですけど)と思った方が気が楽になる。くらいの感じで考えてみれば、信じる信じないで友達と喧嘩する事も減るんじゃないでしょうか。

最後に、日本語訳より英語訳の方がビシッと伝わりますね。
Called or uncalled, God will be present.

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