人の生き死にエピソードでお涙頂戴になっちゃってるニュースとか小説や映像作品とかって、んー。
大切な人を亡くすと本当に苦しいし後悔ばかりで自分を責めてやりきれないし、心なんか全然揺さぶられないんだよ。
そういう本当の経験がない人がそういうのを刺激的に思って涙するのかな?分からないや。
亡くなられた方には本当に大変申し訳ないけど、亡くなったことが美談なのではないと思います。
生きてこその、絶望や悲しみから立ち上がってこその美談。
だから美談は生者にしか宿らないないと思います。
残された者が旅立った者の意思をついだり、その無念の分まで幸せになることが大切ですよね。
個人的な話ですが、僕はわずか30歳で去った父の分まで生きたいし、そうすることでしか僕の喪失感は救済されないんです。
亡くなることは美談ではない。本当は、生きてて欲しかった。ただそれだけです。
tweet by @dshirano 平野友康
「この震災を忘れてはいけない」というナルシスティックな正義感に溢れる君、
阪神大震災が起きた時間と中越地震が起きた時間をネット使わず思い出してくれ。
思い出せなかったとしてもそれは悪いことじゃない。
tweet by @raf00 しの(ヘイ重度)
おお、これはいいことだなぁ。
“@dsHirano: 今日の2時46分に全線緊急停車させて震災想定訓練を実施する鉄道一覧。毎年実施すると良いですね。[link]3月11日に行われる列車停止訓練、首都圏のおもな私鉄・地下鉄など実施概要http://s.news.mynavi.jp/articles/2012/03/10/311/index.html”
(承前)批判を覚悟で書くけど、今日の14:46に黙祷することにはさほどの意味があると思えない。
今回の震災に限らず、単なる周年事業として黙祷すること、ナルシスティックな赤の他人に強制されることが嫌いです。
でも「一年後の同じ日に時刻を合わせて車両点検」というのは意義があっていいよね。
続)「黙祷をしろ」と言う人には「グレゴリオ暦で366日という時の経過に何の意味があるんですか?どうして自分が祈りたいと時に自分で祈らないんですか? 頭をカラッポにしたいだけなんじゃ?」と思うし、
「皆で黙祷とかキモイ」と言う人には「おまえに言われたくねーよ、好きにさせろ」と思う。
続)日本の追悼儀式において「揃って黙祷」する人たちが、あの静寂の中で本当に「祈って」いるのかはつねづね気になっている。
初詣の神社ではあんなに「自分の」願いを念じるのに、見知らぬ多数の死者に対しては掛ける言葉もない、そのことに呆然とするための静寂にも、まぁ意義はあるのだろうけどね。
続)普段は忘れていてもふと「ここでたくさん死んだんだよな」と気づいて黙祷することがある。
特別な史跡でなく、いつも使う中目黒駅とか霞ヶ関駅とかでも。
グラウンドゼロに立ったら9月でなくとも祈るだろうし、一方で、広島旅行中だってお好み焼き食ってる間は原爆のことは頭から消えるよ。私はね。
続)で、「そんなことより車両点検しようぜ! どうせ電車は今日も動いてるんだしよ! 昨日とも明日とも変わらずに運行しつつ、働きながら今日の日を忘れずに何かできることったら、コレだろ!」という鉄道各社の発想は、いいなぁ、と思った次第です。関東大震災の日が防災の日になったみたいな話で。
tweet by @okadaic okadaic