Nスペの震災番組を見ました。
非常食の蓄えも避難場所の確認もしてなくて、明日は我が身っていう感覚が全然ないな。
(おそらく多くの人がそうだろうけど)
ふつーのおじさんが衝撃的な映像を撮影していて、まさに一億総カメラ時代だなと感じた。
と同時に震災という特殊な出来事があったからたまたま目にしているけど、普通だったら唯々消えて行くはずのものだったわけで。
個人がケータイで撮影した写真や映像も、100年スパンの長い目で見ると民俗学的社会学的には価値のある財産なんだし。
文化系トークラジオlifeや津田大介メルマガでも取りあげられていたけど、アーカイブのあり方も考え治す必要があるんではないかと思いました。
デジタルデータってアーカイブに向いてるようで一瞬で消えるしね。
患者を守って逃げ遅れた医療従事者の話を美談にしたてる向きがあるけど、なんの技術をも持たない人と、怪我人を治療する技術を持った人、どちらが生き残るべきか?なんて考えるまでもなく明らかで、緊急時こそ冷徹な判断も必要なのではと思う
もちろん両方助かるのがベストだけど。
見るのも辛いような映像ばかりで、心を痛めた人も多いと思う。
事実そういう状況だったからそれは仕方がないんだけど、これから東日本大震災を語ったり、復興や未来の災害防止について考える時に深刻になる必要はない。
真剣=深刻だと思い込んでいる人が多すぎます。思い込んでいるっていうか、デフォルトとして刷り込まれていて考えもしないという感じ。
笑いながら話してもいいんです。真剣であれば。
被災者の気持ちを考えろ!みたいなことをいう人もいますが、被災者当人がそんなことを言うのをいまだに聞いたことがない。
復興は長いながい道のりなので、辛気臭くやっていたら持たないと思う。