2012/08/29

非貨幣経済の可能性と、欲望の二重の一致

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最近評価経済とか、非貨幣経済という言葉が流行です。
前提を疑え。お金ってそんなに必要だっけ?というのを改めて考えようのコーナーですね。

脱貨幣経済派のよくある主張は
・お金は「日本銀行券」という債券に過ぎないんです
・みんなが価値があると信じているから価値を持っているに過ぎません
・つまりお金なんて偽物なんです
・わざわざお金に交換なんてせずに直接物々交換をすればバラ色!
・脱貨幣経済めっちゃクール!エコ!ロハス!絆最高!

確かに「日本銀行券」に過ぎないからお金自体に価値はないと言うのはその通りだし、1/1000秒とかアホみたいな速度で売り買いをしている金融市場とか見てるとなんだかなあとは思います。多くの人がおかしいと思っているのに貨幣経済が世界を支配してるかというと、物々交換だと取引コストがかかり過ぎるからです。

米を作るAさんと、リンゴを作るBさんがいる場合、Aさんがリンゴを欲しがりBさんが米を欲しがらないと交換が成立しません。仮に全人口の50%がリンゴを、残りの50%が米を欲しがっているとしても、取引が成立する確率は25%に下がってしまいます。実際はもっと下がるでしょう。この問題は「欲望の二重の一致」と呼ばれ、貨幣経済以前に戻ることはありえないとされる大きな理由の一つです。もう一つ、交換の基準が決まっていないため毎回交渉する必要があり、手間がかかり過ぎるという問題もあります。この問題について考えずに「脱貨幣経済」を主張するのは、映画「三丁目の夕日」を観て昭和に憧れるくらい愚かだ。という訳ですね。

このような理由から、非現実的な話だよなと思っていた所にこんな記事を見つけました。
"200人規模のコミュニティ(この例では武道の道場)では割と頻繁に「欲望の二重の一致」が起こり、コミュニティを信頼し先にサービスを提供する事でその確率を上げていて、結構うまく回っている。"

ポイントはこんな感じ
・ある程度の人数と多様性の確保
・信頼できるコミュニティ
・メンバーに対して先にサービスを提供する
・必要になれば後からサービスを提供してもらえる
・コミュニティに貢献する事がベースなので、煩わしい交渉がない

非貨幣経済というと、バウチャー制度か物々交換だと思っていたので目から鱗でした。
仕事仲間や学生時代の友達ではなく、武道という趣味をテーマに人を集める事で多様性を担保し提供できるサービスのメニューを増やす。(もちろんこれは副産物的な成果なのでしょうが)コミュニティのメンバーを助けるといいう相互扶助的な考えをベースにする事で、多少損をしたとしても気にならず交渉のコストが下がる。信頼できる関係があるから、「欲望の二重の一致」を待たなくてもサービスを受ける事ができる。
信頼できる規模の大きいコミュニティをどうやって作るか?という点さえどうにかすれば理想的な非貨幣経済の形だと思いました。(ここが一番難しいと思うけど)
信頼できるコミュニティを地域社会が担う事は今更不可能なので、この記事の例のように趣味を同じくする集まりがキーになそうです。

コミュニティを作る・維持するという点では、リアルでできた関係をデジタルで深める、デジタルで作った仲間とリアルで会うといったように相互補完的に利用する事が重要です。(リアルとFacebookやTwitterのようなデジタルなものは対立軸で語られる事が多く辟易していますが・・・)
これまでは年に1回しか会わない人は存在しないのと同じでしたが、FacebookやTwitterを使えばたいした労力もなしに近況を知る事ができます。一年ぶりの友達と会った時に壮大な近況報告をする事なく、カットインで会話を始める事ができ、コミュニケーションが親密になります。またイベントで一度だけ会った人のように関係を深めるのが難しかった人とも緩やかに人となりを知りながら仲良くなる事が可能です。特に距離と時間をゼロにするというデジタルの特性を活用する事が重要です。

行きつけのBARは、多様性の確保は○、コミュニティの信頼度は○ですが、非貨幣経済的な交換の文化は△、場所と営業日の関係から規模は×、デジタルの活用は×といった所でしょうか。信頼できるコミュニティを作るのが一番難しい事を考えれば、そんなに悪くはなさそうです。
「自分でコミュニティを作る」や「複数のコミュニティに所属して、両方をつなげる」というのも面白そうですね。
100%非貨幣経済と言うのは無理かもしれませんが、一部だけなら市場から退出できる可能性はありそうだなと思いました。

※コミュニティに入れない人はどうするんだ問題についてはあえて触れておりません。
※市場からの撤収のブコメみたら、やはりこういう批判だらけだった・・・
※ひとつの可能性として考えてみてもいいんじゃないかなと思うけど。
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2012/08/21

TED "共感に関する過激な試み" サム・リチャーズ

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サム・リチャーズは架空の歴史上の話 - 100年前の世界で中国がアメリカの石炭を重要なエネルギーと見なし、石炭を目当てに支配を強めるシナリオ - を使って、聴衆の共感を呼びます。多くの聴衆が石炭目当てにアメリカ国民を人とも思わないような行動を取る中国に対して怒りを覚えたでしょう。
この話には仕掛けがあって、「中国をアメリカ」に「アメリカをイラク」に変えてみると、現在の石油をめぐる中東情勢の実情を伝えるものとなります。
イラクについて聞かれて「でも石油は必要だ。暖房を切るなんてとんでもない」と言っていた今までは、共感どころか考えもしていなかったという事実を突きつけます。
架空のシナリオと現在の中東情勢を重ね合わせる事で、イラクの人の立場で考えやすくなった聴衆に対してイラクの人から見たアメリカ人のイメージを想像させます。
・石油目当てで支配階級に取り入る悪い奴ら
・キリスト教こそ正しいと考え、イスラム教を弾圧する悪魔
・石油とキリスト教のためなら人殺しも正義と考える連中

彼は最後に二枚の写真を見せて、想像するよう言います。
一枚目は 軍人の恋人が死に、国旗を受け取っている写真です。
自分が100年前の中国が支配する時代にいるとします。
写真に写っているのは全員中国人、アメリカの石炭に関する暴動で恋人が死に、中国の国旗を受け取っています。敵対するアメリカ人としてこの写真・この場面から何を感じますか?
そして現代に戻って、米軍兵士と中東で恋人を失ったアメリカ人女性の写真だと思ってください。
ここでもう一度イラクに住むイスラム教徒の立場になって、この写真・この女性についてどう思いますか?

二枚目は アメリカ軍に捕まった反乱軍の兵士の写真です。
アメリカ人を殺した彼らを絞首刑にしたいと思いますか?共感するのは難しくないはずです。
次は反乱軍の兵士になってみてください。
彼らは残忍な殺人者でしょうか?彼らの国で起こっている事への怒りと恐怖を感じる事ができますか?彼らはよき父親であり、朝子供を抱き上げ「お前の未来のために行ってくるよ。必ず戻ってくる。」と言ったかもしれません。想像する事ができましたか?難しいですか?

このような例を取り上げたのは、敵対する相手の事を想像するのが最も難しいからだと言います。
イラクの人たちの事をほんの少しだけでも理解する事ができれば、思春期の息子や追い越し車線をノロノロ運転するドライバーといった日常のできごとに共感して理解するのはとても簡単な事です。
他の人に共感し、その視点で考える。異なる意見に耳を傾ける。そうすることでいつの間にか世界が違って見えるようになります。生活のすべてが変わります。それが大切な事なのです。


このスピーチは、なぜアメリカが世界中で嫌われているかを端的に教えてくれます。
幼稚で身勝手な正義を世界に押し付け、相手の気持ちを全く考えようともしない。世界中の - アメリカ人以外の - 誰もが知っている事です。スピーチの後にスタンディングオベーションが起こらなかった事を見ると、この試みはまだまだ受け入れがたい過激なものだったという事でしょうか。
中東の石油に頼り、どちらかというとアメリカ寄りの報道が多い日本人にとっては身につまされるスピーチだと思います。

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2012/08/20

EM菌について調べてみた。- 斗ヶ沢秀俊氏の提言 -

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twitterでEMに関する興味深いtweetを見かけたので、調べてみました。
この人は毎日新聞の人で、EM報道について違和感を持っており会社に問題提起をしたとの事です。新聞社の中の人がこんな提言をし、Twitterで発言するのは並大抵の覚悟ではできない事です。斗ヶ沢さんマジですごい・・・
togeterまとめはこちら 蔓延するEM支援報道の終焉に向けて、斗ヶ沢秀俊氏の提言

ただいま、毎日新聞東京本社編集編成局に、「EM菌報道に関する提言」を提出しました。以前、「1カ月以内をめどに、EM菌宣伝報道をしないよう、社内に問題提起する」とツイッターで宣言しましたが、それを実行しました。
私の「提言」では、「なぜ報道すべきではないのか」について、2点をあげました。
第一の理由は、EM菌が河川やプールの浄化に効果があるという科学的証明がないこと、比嘉照夫氏が「科学的検証はまったく必要ない」と第三者による科学的検証を拒否していることです。
第二の理由は、EM菌が企業の商品にほかならないことです。
通常、新聞記事では不必要に特定企業の宣伝をしたり、商品宣伝をしないようにしています(企業名、商品名が不可欠である場合は名称を入れる)。ところが、EM菌は商品だという認識が不足している。
斗ヶ沢秀俊 @hidetoga


まず事前の知識としてEM菌とは何か。
株式会社EM研究所のwebサイトにはこうあります。
EMとはEffective(有用)Microorganisms(微生物群)の略語で、"共存共栄する有用な微生物の集まり"という意味です。
「EM」が正しい表記だが、「菌」と付けなければ読者・視聴者が何の事か分からないためにマスメディアが配慮して「EM菌」と表記しているようです。つまり効果の高そうな菌を集めた製品であって、「EM菌」という特別な菌がいる訳ではありません。調べるまで新種の特別有用な菌の活用の話だと思ってましたよ。そして企業の商品名なんですね。

食品会社が死ぬような思いでトクホ取得したりして商品の効果を宣伝するのに四苦八苦している中で、科学的根拠がないEMが「健康にいいです」「放射線量が下がります」と大声で宣伝していることに違和感を覚えますね。
EM支持者の人は一つ目の理由に対してなんと答えるのでしょう?マスメディアは二つ目の理由になんと答えるでしょうか?多くの人はメディアで報道されているから科学的根拠のしっかりしたものだと考えてEMを採用していると思います。ほとんどの人が私と同じようにEM菌というスゴい菌がいると思っていて、企業の商品名だとは知らないでしょう。
マスメディアは、効果はなくても善意での活動だから何の問題もないとでも言うんでしょうか?河川へのEMの大量投入による生物多様性への悪影響の可能性は?正しい情報を伝えるという企業倫理は?
それを差し置いても、子供やNPOが河川浄化のために菌というエコな方法で一生懸命活動している姿は視聴率が取れてニュースバリューが高いから嘘も許されるとでも?


EM堆肥が放射性セシウムを消す。という主張がされているようですが、実験結果からEM堆肥に含まれる酸化カリウムの効果である可能性が高そうです。EM菌は放射性物質を減らさない
カリウムの投入により、放射性セシウムの作物への移行を減らす事ができる事はこちらの報告でも明らかになっています。一般社団法人日本土壌肥料学会 放射性セシウムに関する一般の方むけのQ&Aによる解説
きっちり実験を行っている団体の説明は信用せず、実験を拒否する企業の言い分を信じるのはなぜでしょう?カリウム肥料でいいじゃないですか。なぜEMなんですか?
エコだから?天然・自然だから?科学なんて信じたくないから?反吐が出ます。
マスメディアは「善意から始まった美談」に弱すぎる気がします。マスメディアが美談ばかり報じるから視聴者が美談好きなのか、美談好きの視聴者が多いから検証もそこそこに美談を取り上げるのかは分かりませんが・・・。

エコ大好き・美談大好きはいいのですが、最低限の科学リテラシーは身につけたほうが良いと思います。
スピリチュアルなこと(精神的な部分)を科学的に証明できないけど信じる。というのは構わないと思うのですが、農業・食品・医療といった物質的な分野は環境や人体に直接影響を及ぼすので慎重になったほうがいいと思うんです。
特にスピリチュアル好きの方に申し上げたいのは、今の「ニセ科学大好きな人=スピリチュアル大好きな人」という図式によって大変な損を被ってますよという事です。本当にスピリチュアルな世界が存在し、価値があると思うのなら、きちんと科学とニセ科学の線引きをしましょう。口が裂けても「偉大な神様に祈れば放射能が消え去る (`・ω・´)キリッ!」なんて言わない事です。
ニセ科学とつきあうために (大阪大学サイバーメディアセンター 菊池誠)

ほとんどの人はマスメディアの報道を信用して使っていると思うので、疑問を持って調べ始めれば間違いに気づくと思います(と願いたい・・・)。斗ヶ沢さんのこの行動の結果どうなるか、今後もしっかりウォッチしていきたい思います。
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TED "創造性をはぐくむには"エリザベス・ギルバート

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創造性を個人の特別な才能と考えることで、芸術家の苦悩は生まれる。
人間を世界の中心におくルネサンス以降の考え方は、脆く繊細な人間には重すぎるのではないか?
「創造性は偉大な何かからの借り物である」と考えることができれば、すべてが変わる。

彼女は映画にもなった Eat Pray,Love の著者なので、知っている方も多いかもしれません。



神憑っているという表現を日常的に使う我々にとって、クリエイティビティは「ジーニアス」という遠くから来た精霊によってもたらされる一時的なものという解釈は、そう驚くものではない気がします。(2009年のアメリカでこの話をするのは相当な勇気が必要だったでしょうが)
この話で特に気に入っているのは最後の砂漠の踊り手の話です。
ジーニアスという非科学的なこの話は、人によってはピンとこない空想話に聞こえそうです。しかし最後にこの物語を語る事でそれまでの話に見事にリアリティを添えます。砂漠で踊る踊り子の姿が、まるでその場面に居合わせたかのように浮かぶでしょう。
フラメンコを踊る友人がいて、何度かライブに足を運びまさに神憑った踊りを見たことがあります。ライブを見ながら「オレー!」と声援を送った事がすごく特別な事に思えて、その場面を思い出さずにはいられませんでした。

----- 以下引用 -----
昔、北アフリカの砂漠では― 月夜に 踊りと歌の祭典がありました。明け方まで何時間も 見事なものです。プロの踊り手は― 素晴らしいです。たまに ごくまれに― 踊り手が 一線を越えることがある 何の話かお分かりですよね。そんな場面に出合ったことありません? まるで時が止まり― 踊り手がある境界を抜ける… いつもの踊りと 変わらないはずなのに― すべてが符合し― 突然人間には見えなくなる。内から足元から輝き― 神々しく燃え上がるんです。

当時の人々はそんな時― 何が起きたか察し その名を呼びます。 両手を合わせて 唱え始めます。 “アラー アラー 神よ 神よ” “あれは神だ” と 歴史の本によると― ムーア人は南スペイン侵攻時 その慣習も持ち込みました。 長年かけて発音も変わり― “アラー アラー” から “オレー オレー” へ… 今でも闘牛とフラメンコで耳にします。 スペインでは 演者の驚異的な動きに― “アラー オレー” “すごい! ブラボー!” 神を垣間見るんです。 素晴らしい。まさにこれです。

ただし厄介なのは 翌朝です。 踊り手が目覚めると― 火曜の朝11時で もう神はいません 膝の悪い老いた人間が一人… 恐らく あの高みに再び上ることも― 回転しても 神の名を呼ぶ人もない… 残りの人生は? つらいことです。 最も辛い現実です。 創造的な人生上で… いえ そこまで酷くないかも…もし初めから 非凡な才能が自分に― 備わっていたと 信じなければ… その力が借り物だと 思い― 謎の源から 人生に添えられ― 終えたら 他へ行くものと思えば… そう考えれば 全て変わります。

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2012/08/12

クリエイティビティとは何か

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クリエイティビティとは
一見全く関係なさそうな物の間に関連をみつける事。
逆に、同じだと思われている物の間に相違点を見つける事。

優秀なライターの書いた本を読むと、目からウロコが5枚くらい落ちる。
ラーメンと愛国/速水健朗 は、そこつながるんですか!って感じだったし、
楽しいみんなの写真/いしたにまさき 大山顕 は、ココがフィルムカメラとデジタルカメラの違いなのか!って感じだった。

自分が文章を書くのに足りないのは、こういうクリエイティビティ。
後は、資料をもとにして書くという姿勢です。
こう考えています。だけだから説得力に欠けるんだよなぁ。


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【書評】心の科学 戻ってきたハープ

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心の科学 戻ってきたハープ/エリザベス・メイヤー(講談社)

この本はESP(超感覚的知覚いわゆる超能力)について書かれた本です。
科学者である著者は当然の事ながらESPに対して懐疑的な立場を取っていましたが、盗まれた娘のハープがダウジングによって取り戻された事をきっかけに改めて考え始めます。そして、科学者としては考える事もはばかられるような仮説に辿り着きます。「もしESPが確かに存在すると仮定したら、それは間違いなく現在の科学の外にある。科学的に検証できないから存在しないのではなく、科学が扱う領域を広げる必要があるのだとしたら?」

その仮説を検証するために、過去の科学者が行った研究成果を検証し、ESPの体験談を収集し始めます。発見された価値のある(そして無視された)多くの研究成果、科学者・医療関係者から集まったESPの秘話的な体験談から、仮説が正しいという思いを強めていきます。

本書の書評を書いたフリーマン・ダイソンは、「ESPに対して個人が取る立場は大きく2つある」と述べています。
・ESPなど存在しないという科学者の立場
・ESPは実在するし、科学的手法で存在を証明できるという信奉者の立場

個人的にはもう一つ付け加えて3つとしたい所です。
・ESPは実在するが、科学的手法などという無粋なものでとらえる事はできない神秘的なものであるという狂信者の立場

この本の一番の魅力的は、著者のエリザベス・メイヤーがどの立場の人に対しても否定も断定もせず、友好的対話を維持する可能性を探っている所にあります。ESPの信奉者ではない、しかも一流の科学者が第四の立場の可能性を提示した本書は、一読する価値があります。科学的思考を重んじ、それでいて頭の柔らかいESP懐疑派がこの本を一番楽しめると思います。

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2012/08/11

人生の無限の選択肢

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人生には無限の選択肢があり、無限の可能性があるけれど「一本の道しか選ぶことができない」というジレンマ。
そして、過去に戻ってやり直すことはできない。
どうしても「あの時違う選択をしていれば」という思いが頭から離れず、過去に囚われてしまう。
また正しい選択を選ぼうとするあまり、選択肢の多さに身動きが取れなくなる。
仮にパラレルワールドが存在して、あの時最善の選択肢を選んだ自分が存在するとしても、その世界に移動する事はもちろん認識することすらできないのだから気休めにもならない。

選択肢が多すぎることで身動きが取れなくなることはよくある。
例えばこれからジャズを聴き始めようと思ったら、圧倒的な歴史と作品の量に圧倒されて何から手をつけていいかわからなくなるだろう。(口うるさい古株のジャズマニアと話すのも面倒だ)
自分の選び取った選択肢が明らかに間違いだったとしても、過去にさかのぼってやり直すことはできない。
そういう意味ではどの選択肢も正解であったかのように行動するほかない。
その結果を受け止めて、これから何をするかにフォーカスする必要がある。
反省して経験から学ぶ事には価値があるが、過去を悔やむことは時間の無駄だ。
過去が未来に影響を与える事はないが、過去について後悔している場合は別である。
常に「今ここ」をスタート地点として、すべてを始める勇気がいる。

中には過去につらいことがあって、今の思考に悪い影響を与えている人もいるだろう。
つらい経験をしたことには心から同情するし、多くの場合あなたは悪くない。
ただ、あなたが20代の若者でもない限り、過去の出来事に縛られていることを肯定する事はできない。
過去は変えられないが、過去とどう向き合うかは今のあなたが選択することができるし、できないのならできるように訓練し、成長するべきだ。もう大人なのだから。

点と点をつなぐというスティーブジョブズのスピーチはとても素晴らしいけれど、
「その時は何の役に立つか分からなくても、振り返ればすべてが意味のあることだった。人生に無駄な経験などない。素晴らしい!」という話では決してない。
「点と点がつながることを信じて、一見無駄だと思えることでも恐れずに様々な事に挑戦しなさい。現在の視点から未来を見通して行動することなど誰にもできはしないのだから。そうすることでしか未来は作られない」という逆説的なジョブズからのメッセージだ。

無限の選択肢の中から、ひとつを選びとる勇気を。
過去を振り返っても、後悔しない強さを。
運命を信じて一歩を踏み出す事ができれば、未来をつかみ取る事ができる。




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女子会を盛り上げよう!博報堂webサイトより

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【コラム】 「女子会」を盛り上げよう!(博報堂webサイトより)


http://www.readability.com/read?url=http://www.hakuhodo.co.jp/archives/reporttopics/6693

SATCを観て本気で憧れる女子がどれだけいるのか分かりませんが、モンテローザが客寄せに使い始めたのが起源なんて言われるとそこはかとなく残念感が漂いますね。。しかし「キラキラとセキララ」とか誰が上手いこと言えと。漢字表記を片仮名表記に変える事で新しいイメージを与える事ができるのは漢字文化圏ならではの特性ですね。(女性作家の日常エッセイ系漫画によく見られる「オット」(夫)という表記は、何故か見る度に気持ち悪く思いますが。)

少し前までは「いくつまでが女子なのか論争」が激しく繰り広げられていましたが、大人女子・ママ女子なんて言葉が登場し、女子会も一般に認知されるようになった昨今では、もう好きにすれば・・・と半ばあきらめムードが漂っています。

速水健朗の「自分探しが止まらない」では、「若者の自分探し欲求をお手軽に満たすための商品が、世の中に溢れている」という話が紹介されていました。(自己啓発セミナー、自己啓発本、インドをはじめとする自分探しツアー、スピリチュアルなどなど)女性ファッション誌も飲食店も大切なお客様である「○○女子」のご機嫌を損ねるような事は絶対に書けませんし書きませんし、博報堂のwebサイトにコラムが載るくらいだから完璧にロックオンされている訳です。SATCの登場人物みたいにキラキラしていたい!いつまでも若々しく前向きでありたい!といった願望が見事に消費活動に取り込まれていく様子は、見ていて微笑ましい反面、消費社会ってこういうことだよなと皮肉の一つも言いたくもなりますね。

記事には女子会の4象限の図が登場します。女子会というと今は左下のイメージですが、右上に移行し始めると面白そうだなとソーシャル好きとしては思いました。ワセジョの集まる文化系女子会とかは色々な意味で楽しそうなので、隣のテーブルから様子をうかがいたい所存です。
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2012/08/10

神は存在するか? Vocatus atque non vocatus, Deus aderit.

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Vocatus atque non vocatus, Deus aderit.
スイスにあるカール・ユングの家の入り口に記されている言葉だそうです。
意味は「祈りを捧げられようと捧げられなかろうと、神は存在する」です。

よく
・神を信じるか信じないか?
・スピリチュアルな世界を信じるか信じないか?
見たいな議論をすることがありますが、「信じる」という言葉が出ている時点でズレていると思うんです。
信じていようが信じていなかろうが(祈りを捧げられようと捧げられなかろうと)加護を与えてくれるはずだからです。

こういう考え方なので、組織宗教によくある「信じる者は救われる(そうでない者は地獄へ堕ちる)」という考え方が腑に落ちなくて、いつも疑問に思っています。
そんな心のせまい事言わないと思うんです。神様なんだし。
善人だろうが悪人だろうが、信じていようが信じてなかろうが、まとめて面倒見てやるよ。くらいの事は言うでしょう。神様なんだし。
政治的・組織的な理由があるので仕方なし。というのは分かるんですが。
神様の名を語りながら、恐怖を煽って人を支配するってのはどうなのよ?っていう。

神様がいない場合はどうすんだよ。というツッコミへの解答。
いなければ、もちろん祈りは空振りです。
それでも行動規範にはなると思うので、無意味ということはありません。
プラシーボ効果も薬の効果のうちです。

日本人は自分以外の何かを信じる事を極端に恐れていると思います。
オウム真理教事件を思い出せば、カルト宗教を警戒する気持ちは最もだと思います。
が、ちょっと身構えすぎだろうと。
海外の多くの国では特定の宗教を信じている事が普通だと言われますが(実際そうだと思いますが)戒律がこうだから!と厳密に信仰している人は少なく、多くの人にとっては
日本でいう道徳・行動規範のようなものです。
そうでなければ、婚前交渉を禁じているカトリック信者のイタリア男がああいう風になるはずはありませんよね。
神様が見てくれている(死んだ婆ちゃんでもいいですけど)と思った方が気が楽になる。くらいの感じで考えてみれば、信じる信じないで友達と喧嘩する事も減るんじゃないでしょうか。

最後に、日本語訳より英語訳の方がビシッと伝わりますね。
Called or uncalled, God will be present.
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ユーミンとドリカムの「車」論

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「J-POPの歌詞の変化から車について考える」というのがあったのですが、
ユーミンは車種や車のタイプを歌詞に登場させるのに対して、ドリカムは車は登場するものの「私と彼の距離感」の描写が中心に変わり、ゆずのデビュー曲では車ではなく自転車が登場するようになる。
という例が紹介されています。

ユーミンの頃は車自体が大きな価値を持っていたけど、ドリカムの頃はドライブによる体験(私と彼氏の特別な時間)に価値がシフトし、ゆずがデビューした頃にはゼロに近くなった。という感じでしょうか。
好きな人と出かける楽しさは感じても、車自体のかっこよさにはあまり意識が向かないかもしれません。

ゆずになると車が登場しなくなる!というのはよく言われている事なので知っていましたが、ユーミンとドリカムの違いは初めて聞きました。

犬にかぶらせろ 速水健朗
http://www.hayamiz.jp/2012/04/dreamcardate.html
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2011年を振返って。

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One more thing

去年の僕は、Macとか、iPhoneとか、いわゆるITっぽいことが好きなただの若者だった。
(今でもそれは変わらないけど)
最近は写真撮影をしたり、デザイナーらしき仕事をちょこちょこと頼まれるようになった。
ちょっとした事かもしれないけど、ただの若者にとっては大きな変化だ。
今年も残り一日となった所で、なんでそうなったのかを振り返ってみようと思う。

apple製品が好きだから言う訳ではないけれど、大切なのは「One more thing」だと思う。
頼まれただけじゃなくて、もう一歩踏み込んでやってみること。
写真撮影やデザインをすることになったのは、
大好きなよーこさんがデザイナーだったからというのも大きな理由だけど、きっかけは実は市橋さんだった。
あれから全てが始まったんだ。

2011年2月19日、青木さんの送別会を兼ねたワイン会の直前に市橋さんから電話がかかってきた。
内容は「送別会のカメラマンをして欲しい」というものだった。
家にあったNikonのコンデジを持ってWiRE:Dへ行き、みんなの楽しそうな姿を写真に収めた。
Appleのサイトからお試し版のApertureをダウンロードして、露出アンダーでノイズの入った写真をレタッチして、スライドショーを作った。
手軽に本に出来るサービスを見つけたので、PhotoBooKも作って青木さんとWiRE:Dに贈った。
テンプレートに写真を配置しただけのものだったけど、みんなにスゴイと言われ、青木さんはとても喜んでくれた。

みんなに喜んでもらえたのが嬉しかったのと、
単純にモノを作るのが楽しくて、3月4日の由紀子さんのフラメンコショーのカメラマンに名乗りを上げた。

どうせやるなら綺麗に撮りたいと思い、
レンタルショップでデジタル一眼レフカメラを借りた。
前日の晩に手元に届いてあわてて操作方法を覚え、F値がどうとかISO感度がどうとかを斜め読みして当日を迎えた。
デジタル一眼レフカメラを片手に現れた僕を見た由紀子さんは驚いた事だろう(笑)
撮影を終えて「初めてにしては悪くなかったかな」と思いながらMacを起動した。
既にお試し期間は終了していたので、高けーよ。と思いながら、app storeからapertureを購入したのだった。

その後カメラが欲しくなってしまって、
ボーナスが出たのをいいことに、NikonのD7000を買った。
SDカードやらカメラバッグやらと買っているうちに、20万円近い出費になってしまった。
別に写真が好きなわけでもないのによく買ったなと、我ながら思う。
次に頼まれるかも決まってなかったのに。

6月12日のフラメンコ教室発表会では、写真ではなく動画撮影を頼まれた。
3月のショーの写真をスライドショーにしてライブ前に流すことを提案した所、
驚くほど好評でびっくりしたのを覚えている。
撮影した動画は編集してDVDにして渡した。
おまけとしてみんなの感想を入れたら、
「俺のコメントはなくてもよかった」と旦那さんに怒られたりした(笑)
映画の予告編調に編集した短編動画も好評だった。

その後
8月7日のフラメンコショー、
9月24日のシャンソンショー、
11月3日のフラメンコ×シャンソンコラボレーションライブ、
とカメラマンをさせてもらった。
写真が上手くなっている実感はまるでないけど、出演者が喜んでくれているのでそれでいいんだと思う。

11月3日のコラボレーションライブでは、なんとフライヤー制作も頼まれまた。
illustratorの使い方を覚える暇がなかったのでPagesで作ったけど、
いつもより立派な物ができたと喜んでもらえた。



・・・とまあこれが僕の一年間だ。

きっかけを与えてくれた市橋さんにはとても感謝しているし、
僕を信頼して仕事をお願いしてくれる友人たちにもとても感謝している。
もちろん、よーこさんをはじめ他のWiRE:Dの仲間にも。



ちょっと話はかわるけど、以前こんなコラムを読んだ。


「ある事」に気をつけてみると自分の強みが簡単に分かる


毎日のように、人は行動を通して自分の強みを周囲に証明しているようなものです。
周りの人は、あなたが本当に得意なことに気付いています。
★ 誰かがあなたに助けを求める時、その求められていることこそが、あなたの強みなのです。

例えば、あなたが交渉上手な人であれば、交渉する場面での助けの依頼が届くはずですし、
あなたが文章を書くのが上手な人であれば、何かを書く助けが必要な時に声がかかるはずです。
他人が自分に要求することに気を付けていれば、自分の強みがすぐに分かるようになります。


ちょうどその頃、行きつけのBar WiRE:Dについて
「ここに来る人はそれぞれ得意な事がある。
歌手・作曲家・ダンサー・占い師・料理人・バイク屋・鳶職・看護師・自動車整備技師・ペンキ屋・花屋・手裏剣家・バッカス博士・・・
さて、自分は何の役に立つ事ができるだろうか?」
なんて事を考えていたので、このコラムはまさにタイムリーだった。


「なるほど!」と思うと同時に、
「確かにその通りだけど、助けなんて求められるのか?
そんな人に役に立つ「得意な事」があったっけ?」
とも思って頭の片隅に追いやっていた。

今になって一年を振り返ってみると、
まさにこのコラムに書いてある通りの事が起こっていた。
最初に思った「なるほど!」が正解で、
自分では大して役に立たないと思っていた「ITっぽいこと」は他の人にはない強みだったのだった。

WiRE:DにはいつもiPhoneやiPadを持っていっていたし、
FacebookがどうTwitterがどうみたいな話ばかりしていたから
「送別会のカメラマン」というきっかけをもらう事ができた。

そして
PhotoBookの制作、レンタルのデジタル一眼レフカメラ、予告編調のおまけ動画
など、ちょっとした事 をもう一歩踏み込んでやったから続けて頼んでくれたんじゃないかなと思っている。
もちろんそんな理由は後付けで、
単に「仲間を喜ばせたい」「どうせならいい物を作りたい」というサービス精神だったんだけど。

実は
来年2月18日のフラメンコ×シャンソンコラボレーションライブの、フライヤー制作・写真撮影・ビデオ撮影も引き続き依頼してもらっていて、
今度はillustrator,photoshopの使い方もバッチリ?勉強して作っている。
ドキドキしながらオンラインプリントサービスに出稿したりしもした。

他にも
名刺制作・ホームページ制作・Youtube用の動画撮影など色々とお願いされていて、嬉しい限りだ。

来年はデザイン関連の勉強はもちろん、パソコンが苦手な人のサポートとか、ソーシャルメディアの活用、特にFacebookとUstream(この辺を書き始めるとまた長くなるので、この辺で)とか色々やりたいなと思っている。



- 終わりに -
WiRE:Dのみなさん、重ね重ねお礼を申し上げます。
みんなの手助けのおかげで、今年もいろいろな事に挑戦する事ができました。

よーこさん、デザイナーと歌もやりながらの夜の営業は大変だと思います。
いつもありがとうございます。
僕の大切なサード・プレイスとして楽しんでいます。

「それではみなさん、よいお年を!」と見せかけて、明日22:00にWiRE:Dでお会いしましょう。




WiRE:D IT担当

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アマチュアとプロフェッショナルの違い

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アマチュアとは、素人のことではなく、
こよなく愛する人、という意味である。

amator(アマートル)=愛する人を意味するラテン語
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つまりアマチュアであることは、必ずしも技術的に劣ることを意味
しない。
プロフェッショナルとアマチュアを分けるのは、安定的に成果を出
す事や納期を守る点である。と
ちょっとポジティブ名言っぽくてアレですけど、アマチュア=素人
の方が誤訳っぽいですし、「技術的に劣るから・・・」と小さくなっているよりも得る物が多そうなのでこちらの解釈を採用する事にします。
胸を張ってアマチュアを名乗りましょう。
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2012/08/06

iMovieで外付けHDDにデータを移行する

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iMovieで外付けHDDにデータを移行する方法の備忘録メモ。

iMovieは素材である「イベント」と素材を集めて作品を作る「プロジェクト」の二つで構成されています。
普通に使っていれば、Mac内蔵のHDDに両方とも保存されています。

(おそらくこの場所に保存されているはず)

意識しないと気づかないと思いますが、
「イベント」を見ると、現在イベントが保存されている「Macintosh HD」の他に、下の方に接続されている外付けHDDドライブが表示されていると思います。
この写真の場合は「Lacie」という名前で表示されていますね。
移行の方法は簡単で、「Macintosh HD」にあるイベントを、外付けHDDにドラッグandドロップすれば終了です。
これでイベントが外付けHDDにコピーされました。
後はMacintosh HDにある元のファイルを削除すれば完了です。
画像左下のイベントライブラリに注目

移動したイベントがプロジェクトで使用されている場合、削除するときに警告メッセージが出ます。
素材である「イベント」は外付けHDDにコピーされても、作品である「プロジェクト」の中で参照しているのは以前と変わらずなのでこのような警告が出ます。
その場合はイベントを下記の方法を試して下さい。

プロジェクトを「Macintosh HD」から「外付けHDD」へドラッグ&ドロップします。
画面左上、プロジェクトライブラリに注目

そうするとイベントも一緒にコピーするかどうか聞いてきます。
下のボタンを選択しましょう。

そうすると、プロジェクト・イベント共に外付けHDDにコピーされます。

最後にMacintosh HDにある元のファイルを削除すれば完了です。




最近は家庭向けのビデオカメラでもかなり高画質で撮影ができるため、すぐにMacのHDDがいっぱいになってしまいます。(私のiMacのHDDはなんと500GB。少ない・・・)
Apple製品は使いやすくていいのですが、ちょっと違う事をしようとすると方法が分かりづらくて困ります。
使いやすさを重視するためにデータの保存場所を意識させない作りになっているんですよね。xxxLibrary(xxxはアプリの名前)という風に簡単に取り出せない事なんてザラですし。
その点ではWindowsの方がやりやすいと感じますね。
ライトユーザーであれば全く意識しないですむんですけど。

検索しても
質問者  :外付けHDDが認識されない!
偉そうな人:Windows用にフォーマットされたHDDだろ!Mac用にフォーマットしろカス!
みたいなやり取りばっかりでうんざりだったので、記事を書く事にしました。
HDDのフォーマット方法が分からなければ、Mac用あるいはWinMac対応と書いてある物を買いましょう。

私が使用しているHDDはコレ

カメラはコレを使ってます。
SONY CX720V、通称ぎょろ目君!
ヒマナイヌのカワイ氏 (@TakuyaKawai) の命名です。氏のUstream見て買いました。
手ぶれ補正が強力で、歩きながらのUstream中継に最適です。


原宿を歩きながら撮影したサンプルがこちら。
純正のグリップを取り付けて、手持ちで撮影しています。
驚異的な手ぶれ補正を体感してみて下さい。


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2012/08/03

Lady GAGA "If you don’t have any shadows, you are not in the light. "

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If you don’t have any shadows, you are not in the light. 
- Lady GAGA  -

訳1)
あなたに影の部分があるなら、それは光が当たっている証拠よ。 

訳2)
あなたに影の部分がないなら、
それは光が当たっていない証拠よ。

訳1)の方がポジティブ名言として拡散されているけども、正しいのは訳2)だという話。

言い方を少し変えただけで、全然印象が違いますね。

訳1)を読んで
私はこれでいいんだ・・・とか思っちゃう人は、SMAPの世界に一つだけの花とか好きそうですね。

そんなんで満足してるつもり?もっとがんばんなさいよ( ̄^ ̄)みたいな感じがするので、訳2)の方が好みです。
もっとがんばらないとなぁ
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2012/08/02

天国のあなたへ 第1回日本一心のこもった恋文

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http://twitpic.com/46sb9n

天国のあなたへ
娘を背に日の丸の小旗を振ってあなたを見送ってからもう半世紀がすぎてしまいました。
たくましいあなたの腕に抱かれたのはほんのつかの間でした。
三十二歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは今どうしていますか。
私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに。
あなたは三十二歳の青年、私は傘寿を迎えている年です。
おそばに行った時おまえはどこの人だなんて言わないでね。
よく来たと言って、あの頃のように寄り添って座らせてくださいね。
お逢いしたら娘夫婦のこと孫のことまたすぎし日のあれこれを話し思いきり甘えてみたい。
あなたは優しくそうかそうかとうなずきながら慰め、よくがんばったとほめてくださいね。
そしてそちらの「きみまち坂」につれていってもらいたい。
  春のあでやかな桜花、
  夏なまめかしい新緑、
  秋ようえんなもみじ、
  冬清らかな雪模様など、
四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。
私はお別れしてからずっとあなたを思いつづけ愛情を支えにして生きてまいりました。
もう一度あなたの腕に抱かれてねむりたいものです。
力いっぱい抱き締めて絶対はなさないで下さいね。

二ツ井町が主催した、
1995年2月14日バレンタインデー「第1回日本一心のこもった恋文」大賞
天国のあなたへ  秋田県 柳原タケ



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2012/08/01

優先順位は行動に表れる

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行動がすべてだ。
あなたに達成したい目標がありそれを明言しているにも関わらず、「仕事が大変で・・・」と言い訳をしてカウチ・ポテト族になっているのなら、あなたは目標を本気で達成しようとは思っていないことになる。

行動がすべてだ。
どんなビジョンがあろうが、どんな素晴らしいプランを準備していようが、そんな事は関係がない。
優先順位は行動に表れる。

行動がすべてだ。

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やせたいと願っているのに、間食がやめられない。
資格試験を受ける事は決まっているのに、勉強を先延ばしにしてしまう。
返事をしないといけない重要な案件があるのに、気が重くて手をつけずにいる。

e.t.c. e.t.c. ...

思い当たる事は誰にもひとつくらいはあるはず。
「優先順位は行動に表れる」とは、マハトマ・ガンディーの言葉です。
どんな小さな一歩でもいいから、まず行動すること。
小さな成功体験を積み重ねていく事が重要です。
その一歩が、居心地のいい安全領域から抜け出すための勇気となるはずです。
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