2012/08/20

EM菌について調べてみた。- 斗ヶ沢秀俊氏の提言 -

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twitterでEMに関する興味深いtweetを見かけたので、調べてみました。
この人は毎日新聞の人で、EM報道について違和感を持っており会社に問題提起をしたとの事です。新聞社の中の人がこんな提言をし、Twitterで発言するのは並大抵の覚悟ではできない事です。斗ヶ沢さんマジですごい・・・
togeterまとめはこちら 蔓延するEM支援報道の終焉に向けて、斗ヶ沢秀俊氏の提言

ただいま、毎日新聞東京本社編集編成局に、「EM菌報道に関する提言」を提出しました。以前、「1カ月以内をめどに、EM菌宣伝報道をしないよう、社内に問題提起する」とツイッターで宣言しましたが、それを実行しました。
私の「提言」では、「なぜ報道すべきではないのか」について、2点をあげました。
第一の理由は、EM菌が河川やプールの浄化に効果があるという科学的証明がないこと、比嘉照夫氏が「科学的検証はまったく必要ない」と第三者による科学的検証を拒否していることです。
第二の理由は、EM菌が企業の商品にほかならないことです。
通常、新聞記事では不必要に特定企業の宣伝をしたり、商品宣伝をしないようにしています(企業名、商品名が不可欠である場合は名称を入れる)。ところが、EM菌は商品だという認識が不足している。
斗ヶ沢秀俊 @hidetoga


まず事前の知識としてEM菌とは何か。
株式会社EM研究所のwebサイトにはこうあります。
EMとはEffective(有用)Microorganisms(微生物群)の略語で、"共存共栄する有用な微生物の集まり"という意味です。
「EM」が正しい表記だが、「菌」と付けなければ読者・視聴者が何の事か分からないためにマスメディアが配慮して「EM菌」と表記しているようです。つまり効果の高そうな菌を集めた製品であって、「EM菌」という特別な菌がいる訳ではありません。調べるまで新種の特別有用な菌の活用の話だと思ってましたよ。そして企業の商品名なんですね。

食品会社が死ぬような思いでトクホ取得したりして商品の効果を宣伝するのに四苦八苦している中で、科学的根拠がないEMが「健康にいいです」「放射線量が下がります」と大声で宣伝していることに違和感を覚えますね。
EM支持者の人は一つ目の理由に対してなんと答えるのでしょう?マスメディアは二つ目の理由になんと答えるでしょうか?多くの人はメディアで報道されているから科学的根拠のしっかりしたものだと考えてEMを採用していると思います。ほとんどの人が私と同じようにEM菌というスゴい菌がいると思っていて、企業の商品名だとは知らないでしょう。
マスメディアは、効果はなくても善意での活動だから何の問題もないとでも言うんでしょうか?河川へのEMの大量投入による生物多様性への悪影響の可能性は?正しい情報を伝えるという企業倫理は?
それを差し置いても、子供やNPOが河川浄化のために菌というエコな方法で一生懸命活動している姿は視聴率が取れてニュースバリューが高いから嘘も許されるとでも?


EM堆肥が放射性セシウムを消す。という主張がされているようですが、実験結果からEM堆肥に含まれる酸化カリウムの効果である可能性が高そうです。EM菌は放射性物質を減らさない
カリウムの投入により、放射性セシウムの作物への移行を減らす事ができる事はこちらの報告でも明らかになっています。一般社団法人日本土壌肥料学会 放射性セシウムに関する一般の方むけのQ&Aによる解説
きっちり実験を行っている団体の説明は信用せず、実験を拒否する企業の言い分を信じるのはなぜでしょう?カリウム肥料でいいじゃないですか。なぜEMなんですか?
エコだから?天然・自然だから?科学なんて信じたくないから?反吐が出ます。
マスメディアは「善意から始まった美談」に弱すぎる気がします。マスメディアが美談ばかり報じるから視聴者が美談好きなのか、美談好きの視聴者が多いから検証もそこそこに美談を取り上げるのかは分かりませんが・・・。

エコ大好き・美談大好きはいいのですが、最低限の科学リテラシーは身につけたほうが良いと思います。
スピリチュアルなこと(精神的な部分)を科学的に証明できないけど信じる。というのは構わないと思うのですが、農業・食品・医療といった物質的な分野は環境や人体に直接影響を及ぼすので慎重になったほうがいいと思うんです。
特にスピリチュアル好きの方に申し上げたいのは、今の「ニセ科学大好きな人=スピリチュアル大好きな人」という図式によって大変な損を被ってますよという事です。本当にスピリチュアルな世界が存在し、価値があると思うのなら、きちんと科学とニセ科学の線引きをしましょう。口が裂けても「偉大な神様に祈れば放射能が消え去る (`・ω・´)キリッ!」なんて言わない事です。
ニセ科学とつきあうために (大阪大学サイバーメディアセンター 菊池誠)

ほとんどの人はマスメディアの報道を信用して使っていると思うので、疑問を持って調べ始めれば間違いに気づくと思います(と願いたい・・・)。斗ヶ沢さんのこの行動の結果どうなるか、今後もしっかりウォッチしていきたい思います。
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TED "創造性をはぐくむには"エリザベス・ギルバート

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創造性を個人の特別な才能と考えることで、芸術家の苦悩は生まれる。
人間を世界の中心におくルネサンス以降の考え方は、脆く繊細な人間には重すぎるのではないか?
「創造性は偉大な何かからの借り物である」と考えることができれば、すべてが変わる。

彼女は映画にもなった Eat Pray,Love の著者なので、知っている方も多いかもしれません。



神憑っているという表現を日常的に使う我々にとって、クリエイティビティは「ジーニアス」という遠くから来た精霊によってもたらされる一時的なものという解釈は、そう驚くものではない気がします。(2009年のアメリカでこの話をするのは相当な勇気が必要だったでしょうが)
この話で特に気に入っているのは最後の砂漠の踊り手の話です。
ジーニアスという非科学的なこの話は、人によってはピンとこない空想話に聞こえそうです。しかし最後にこの物語を語る事でそれまでの話に見事にリアリティを添えます。砂漠で踊る踊り子の姿が、まるでその場面に居合わせたかのように浮かぶでしょう。
フラメンコを踊る友人がいて、何度かライブに足を運びまさに神憑った踊りを見たことがあります。ライブを見ながら「オレー!」と声援を送った事がすごく特別な事に思えて、その場面を思い出さずにはいられませんでした。

----- 以下引用 -----
昔、北アフリカの砂漠では― 月夜に 踊りと歌の祭典がありました。明け方まで何時間も 見事なものです。プロの踊り手は― 素晴らしいです。たまに ごくまれに― 踊り手が 一線を越えることがある 何の話かお分かりですよね。そんな場面に出合ったことありません? まるで時が止まり― 踊り手がある境界を抜ける… いつもの踊りと 変わらないはずなのに― すべてが符合し― 突然人間には見えなくなる。内から足元から輝き― 神々しく燃え上がるんです。

当時の人々はそんな時― 何が起きたか察し その名を呼びます。 両手を合わせて 唱え始めます。 “アラー アラー 神よ 神よ” “あれは神だ” と 歴史の本によると― ムーア人は南スペイン侵攻時 その慣習も持ち込みました。 長年かけて発音も変わり― “アラー アラー” から “オレー オレー” へ… 今でも闘牛とフラメンコで耳にします。 スペインでは 演者の驚異的な動きに― “アラー オレー” “すごい! ブラボー!” 神を垣間見るんです。 素晴らしい。まさにこれです。

ただし厄介なのは 翌朝です。 踊り手が目覚めると― 火曜の朝11時で もう神はいません 膝の悪い老いた人間が一人… 恐らく あの高みに再び上ることも― 回転しても 神の名を呼ぶ人もない… 残りの人生は? つらいことです。 最も辛い現実です。 創造的な人生上で… いえ そこまで酷くないかも…もし初めから 非凡な才能が自分に― 備わっていたと 信じなければ… その力が借り物だと 思い― 謎の源から 人生に添えられ― 終えたら 他へ行くものと思えば… そう考えれば 全て変わります。

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2012/08/12

クリエイティビティとは何か

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クリエイティビティとは
一見全く関係なさそうな物の間に関連をみつける事。
逆に、同じだと思われている物の間に相違点を見つける事。

優秀なライターの書いた本を読むと、目からウロコが5枚くらい落ちる。
ラーメンと愛国/速水健朗 は、そこつながるんですか!って感じだったし、
楽しいみんなの写真/いしたにまさき 大山顕 は、ココがフィルムカメラとデジタルカメラの違いなのか!って感じだった。

自分が文章を書くのに足りないのは、こういうクリエイティビティ。
後は、資料をもとにして書くという姿勢です。
こう考えています。だけだから説得力に欠けるんだよなぁ。


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【書評】心の科学 戻ってきたハープ

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心の科学 戻ってきたハープ/エリザベス・メイヤー(講談社)

この本はESP(超感覚的知覚いわゆる超能力)について書かれた本です。
科学者である著者は当然の事ながらESPに対して懐疑的な立場を取っていましたが、盗まれた娘のハープがダウジングによって取り戻された事をきっかけに改めて考え始めます。そして、科学者としては考える事もはばかられるような仮説に辿り着きます。「もしESPが確かに存在すると仮定したら、それは間違いなく現在の科学の外にある。科学的に検証できないから存在しないのではなく、科学が扱う領域を広げる必要があるのだとしたら?」

その仮説を検証するために、過去の科学者が行った研究成果を検証し、ESPの体験談を収集し始めます。発見された価値のある(そして無視された)多くの研究成果、科学者・医療関係者から集まったESPの秘話的な体験談から、仮説が正しいという思いを強めていきます。

本書の書評を書いたフリーマン・ダイソンは、「ESPに対して個人が取る立場は大きく2つある」と述べています。
・ESPなど存在しないという科学者の立場
・ESPは実在するし、科学的手法で存在を証明できるという信奉者の立場

個人的にはもう一つ付け加えて3つとしたい所です。
・ESPは実在するが、科学的手法などという無粋なものでとらえる事はできない神秘的なものであるという狂信者の立場

この本の一番の魅力的は、著者のエリザベス・メイヤーがどの立場の人に対しても否定も断定もせず、友好的対話を維持する可能性を探っている所にあります。ESPの信奉者ではない、しかも一流の科学者が第四の立場の可能性を提示した本書は、一読する価値があります。科学的思考を重んじ、それでいて頭の柔らかいESP懐疑派がこの本を一番楽しめると思います。

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2012/08/11

人生の無限の選択肢

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人生には無限の選択肢があり、無限の可能性があるけれど「一本の道しか選ぶことができない」というジレンマ。
そして、過去に戻ってやり直すことはできない。
どうしても「あの時違う選択をしていれば」という思いが頭から離れず、過去に囚われてしまう。
また正しい選択を選ぼうとするあまり、選択肢の多さに身動きが取れなくなる。
仮にパラレルワールドが存在して、あの時最善の選択肢を選んだ自分が存在するとしても、その世界に移動する事はもちろん認識することすらできないのだから気休めにもならない。

選択肢が多すぎることで身動きが取れなくなることはよくある。
例えばこれからジャズを聴き始めようと思ったら、圧倒的な歴史と作品の量に圧倒されて何から手をつけていいかわからなくなるだろう。(口うるさい古株のジャズマニアと話すのも面倒だ)
自分の選び取った選択肢が明らかに間違いだったとしても、過去にさかのぼってやり直すことはできない。
そういう意味ではどの選択肢も正解であったかのように行動するほかない。
その結果を受け止めて、これから何をするかにフォーカスする必要がある。
反省して経験から学ぶ事には価値があるが、過去を悔やむことは時間の無駄だ。
過去が未来に影響を与える事はないが、過去について後悔している場合は別である。
常に「今ここ」をスタート地点として、すべてを始める勇気がいる。

中には過去につらいことがあって、今の思考に悪い影響を与えている人もいるだろう。
つらい経験をしたことには心から同情するし、多くの場合あなたは悪くない。
ただ、あなたが20代の若者でもない限り、過去の出来事に縛られていることを肯定する事はできない。
過去は変えられないが、過去とどう向き合うかは今のあなたが選択することができるし、できないのならできるように訓練し、成長するべきだ。もう大人なのだから。

点と点をつなぐというスティーブジョブズのスピーチはとても素晴らしいけれど、
「その時は何の役に立つか分からなくても、振り返ればすべてが意味のあることだった。人生に無駄な経験などない。素晴らしい!」という話では決してない。
「点と点がつながることを信じて、一見無駄だと思えることでも恐れずに様々な事に挑戦しなさい。現在の視点から未来を見通して行動することなど誰にもできはしないのだから。そうすることでしか未来は作られない」という逆説的なジョブズからのメッセージだ。

無限の選択肢の中から、ひとつを選びとる勇気を。
過去を振り返っても、後悔しない強さを。
運命を信じて一歩を踏み出す事ができれば、未来をつかみ取る事ができる。




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女子会を盛り上げよう!博報堂webサイトより

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【コラム】 「女子会」を盛り上げよう!(博報堂webサイトより)


http://www.readability.com/read?url=http://www.hakuhodo.co.jp/archives/reporttopics/6693

SATCを観て本気で憧れる女子がどれだけいるのか分かりませんが、モンテローザが客寄せに使い始めたのが起源なんて言われるとそこはかとなく残念感が漂いますね。。しかし「キラキラとセキララ」とか誰が上手いこと言えと。漢字表記を片仮名表記に変える事で新しいイメージを与える事ができるのは漢字文化圏ならではの特性ですね。(女性作家の日常エッセイ系漫画によく見られる「オット」(夫)という表記は、何故か見る度に気持ち悪く思いますが。)

少し前までは「いくつまでが女子なのか論争」が激しく繰り広げられていましたが、大人女子・ママ女子なんて言葉が登場し、女子会も一般に認知されるようになった昨今では、もう好きにすれば・・・と半ばあきらめムードが漂っています。

速水健朗の「自分探しが止まらない」では、「若者の自分探し欲求をお手軽に満たすための商品が、世の中に溢れている」という話が紹介されていました。(自己啓発セミナー、自己啓発本、インドをはじめとする自分探しツアー、スピリチュアルなどなど)女性ファッション誌も飲食店も大切なお客様である「○○女子」のご機嫌を損ねるような事は絶対に書けませんし書きませんし、博報堂のwebサイトにコラムが載るくらいだから完璧にロックオンされている訳です。SATCの登場人物みたいにキラキラしていたい!いつまでも若々しく前向きでありたい!といった願望が見事に消費活動に取り込まれていく様子は、見ていて微笑ましい反面、消費社会ってこういうことだよなと皮肉の一つも言いたくもなりますね。

記事には女子会の4象限の図が登場します。女子会というと今は左下のイメージですが、右上に移行し始めると面白そうだなとソーシャル好きとしては思いました。ワセジョの集まる文化系女子会とかは色々な意味で楽しそうなので、隣のテーブルから様子をうかがいたい所存です。
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2012/08/10

神は存在するか? Vocatus atque non vocatus, Deus aderit.

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Vocatus atque non vocatus, Deus aderit.
スイスにあるカール・ユングの家の入り口に記されている言葉だそうです。
意味は「祈りを捧げられようと捧げられなかろうと、神は存在する」です。

よく
・神を信じるか信じないか?
・スピリチュアルな世界を信じるか信じないか?
見たいな議論をすることがありますが、「信じる」という言葉が出ている時点でズレていると思うんです。
信じていようが信じていなかろうが(祈りを捧げられようと捧げられなかろうと)加護を与えてくれるはずだからです。

こういう考え方なので、組織宗教によくある「信じる者は救われる(そうでない者は地獄へ堕ちる)」という考え方が腑に落ちなくて、いつも疑問に思っています。
そんな心のせまい事言わないと思うんです。神様なんだし。
善人だろうが悪人だろうが、信じていようが信じてなかろうが、まとめて面倒見てやるよ。くらいの事は言うでしょう。神様なんだし。
政治的・組織的な理由があるので仕方なし。というのは分かるんですが。
神様の名を語りながら、恐怖を煽って人を支配するってのはどうなのよ?っていう。

神様がいない場合はどうすんだよ。というツッコミへの解答。
いなければ、もちろん祈りは空振りです。
それでも行動規範にはなると思うので、無意味ということはありません。
プラシーボ効果も薬の効果のうちです。

日本人は自分以外の何かを信じる事を極端に恐れていると思います。
オウム真理教事件を思い出せば、カルト宗教を警戒する気持ちは最もだと思います。
が、ちょっと身構えすぎだろうと。
海外の多くの国では特定の宗教を信じている事が普通だと言われますが(実際そうだと思いますが)戒律がこうだから!と厳密に信仰している人は少なく、多くの人にとっては
日本でいう道徳・行動規範のようなものです。
そうでなければ、婚前交渉を禁じているカトリック信者のイタリア男がああいう風になるはずはありませんよね。
神様が見てくれている(死んだ婆ちゃんでもいいですけど)と思った方が気が楽になる。くらいの感じで考えてみれば、信じる信じないで友達と喧嘩する事も減るんじゃないでしょうか。

最後に、日本語訳より英語訳の方がビシッと伝わりますね。
Called or uncalled, God will be present.
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