2012年5月12日 ニッポンのジレンマ「僕らの救国の教育論」まとめ
先生方にはぜひ観て頂きたい
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感想
教育論の面倒なところは、誰もが学校教育を受けているので自分の経験で好き勝手にしゃべれてしまう所です。
美化された記憶をもとに「昔はこうだった!」と叫ぶ老人や、実は先生を批判したいだけの人、無根拠なトンデモ教育論を振りかざす自称教育評論家などなど、大変な混乱模様になる事が多いです。
教育がテーマの討論番組でも自説を叫び合って終わりという事が多い中、ニッポンのジレンマ「僕らの救国の教育論」ではかなりまともな議論がされていたと思います。むしろ4人の意見が一致しすぎている感すらありましたが。
教育の現場で働く先生は本当に大変だと思いますが、話の前提として「日本の先生はとても優秀だ」と多くの人が思っている。という事を言っておくべきだと思います。
批判の声は数が少なくても届きやすく、信頼や感謝の声は多くの人が持っていても伝わりにくいものです。
先生方には「スルー力と鈍感力」を、保護者たちには「もっと信頼と感謝の表現」を(^ ^)ノシ
追記
我が子の幸せを望むが故に、失敗を恐れて新しい挑戦を躊躇する親をどのように納得させるかが最大のポイントであり、課題でもある。という東氏の発言が一番重要な所だと感じました。
子供は教育を選ぶ事ができないので、時代に沿った提案をした所で親が首を縦に振らなければ意味がない。
親は子供の階級上昇を望んでいるのであって、東大・京大に入れたい訳じゃない。仮に京大がパソコン持ち込み可の入試を始めた所で親の意識が変わるとは思えない。
だとすればどうやればいいのだろうと頭を悩ませました。答えはまだ出ていません。
【論旨ざっくり】
・一番の問題点は、大人のロールモデル(規範)を胸を張って子供に語れなくなった事。
・「勉強=いい大学=いい会社=幸せ!」というわけにはいかなくなった。
・それでは大人は子供に向けて何を語るべきなのか?
・人間の能力は3つある。演算能力、クリエイティビティ、コミュ力。学校教育でどこにウェイトを置くかが大切。
・演算能力とクリエイティビティはよくトレードオフの関係で語られるが、そうではない。
・子供を子供のまま伸ばしてやればクリエイティビティは伸びるだろうが、それでは大人にはなれない
・子供を社会化するのが教育の目的なのだから、抑圧はどうしても含まれる事になる
・子供と大人の違いは、欲望の延期ができるかどうか
・子供の欲望は即時的なもの(食べた→おいしい、ボタンを押す→レスポンスが返って来た)
・即座に快楽が得られないが、我慢すれば後から大きなリターンがあるという事をどう教えるか
・つまり子供にドリルを楽しくやらせる方法を考える。というのは子供を子供のまま育てるということ
・学力を上げる事が目的ならありだが、そこにウェイトをおきすぎると教育の本質を外す事になる
・体験型の学習はゆとり教育に見えるかもしれないが、試行錯誤をくりかえす新しい詰め込み教育の形だと考えている
・クリエイティビティを教育で全員に教えるって無理じゃない?
・クリエイティビティを発揮させる授業の定型化・テンプレート化は矛盾しないの?
・叶えたい夢や欲望のない、大多数の人を救うセーフティネットとして教育はある
・若くして叶えたい夢を見つけられるような人は、大学なんていく必要はない
・昔ならともかく、今学校教育で人材を育成するなんて無理
・ネットなり私塾なり習い事なり、人材育成に適した場は他にもある
・学校の役割も見直す必要がある
・子供の多様性を連呼するなら、教える側も多様化しないとダメなんじゃない
・スーツ着た先生と、サラリーマンの親しかみた事ない子供に多様性を発揮しろというのは無理な話
・近所のいろいろな職業の人と子供を会わせるべき
・むしろ何で食ってるか分からないような変人と会わせて、こんな人でも生活できるんだ・・・と子供に感じさせるような原体験が必要
・教育の話で一番の障壁になるのは「親」
・自分の子供を階級上昇(最低でも自分と同じ階級を維持)を望んで学校を選んでいる
・理想的な教育論をどれだけしようと、自分の子供が失敗する可能性が少しでも見えれば考えを変える事は100%ない